2016年末から2017年はじめにかけて、当ブログで今までに書いた200以上の革靴関連の文章の中から、テーマ別に分けてまとめています。その10回目。今回は少し趣味寄りの話です。
必須の情報ではありません。また今折角革靴に興味を持ち、その広大な世界に胸ときめかせている方に冷や水を浴びせるようで申し訳ありませんが、ちょっと心の片隅に覚えておいても損はないかなぁ、と思う補足の情報です。
欲しい靴があったら、どんどん買って欲しいと思っています。そして長く愛用して下さい。
「あの復活した名門ブランド」や「至高の靴職人が一足一足作り上げる」、雑誌で噂の名靴を手にされたあなた。そこまでの過程でたくさんの情報を読み漁り、何度も店頭に足を運び、気持ちを維持させながらお金を貯め、今ようやく手に入れたのだと思います。
その瞬間というのは私も何度も経験してきましたが、達成感もあり、幸せに浸れる瞬間です。それ自体は何ら非難されることでもなく、ご自身の努力の結果です。だからこそ、その感動を長く味わって欲しいですし、その靴も長く愛して欲しいと思います。
きっと靴もあなたの想いに応えてくれることでしょう。何故なら、あなたが本当に欲しくて、頑張ってようやく買うことが出来た、あなたにとってかけがえのない大切な一足なのですから。
ご購入おめでとうございます。高級靴の世界は素晴らしいです。もちろん靴は価格だけではありません。自分の足に合う靴が、必ずしも名ラスト、一生モノの逸品と世間一般で呼ばれているものあるとは限りません。けれど、たくさんのことを教えてくれます。
今度は、その靴の魅力を、ご自身の言葉で是非多くの人に伝えていって欲しいと思います。それは、メディアが押し出す作り上げられたストーリーやヒストリーではなく、自分で履いて感じたこと、買うに至った思いや想い出。そういう血の通った話が、きっとより多くの人の心に響くでしょうし、靴って良いな、と思うきっかけになると思います。
欲しい靴があったら、どんどん買って欲しいと私は思っています。買えるということは素晴らしい事です。これは靴に限らず、様々な趣味に共通することだと思っています。そういう方たちでブランドというのは支えられています。だからこそ、その良さをご自身の言葉でどんどん周りに伝えていってほしいと本気で思っています。
もし、今まだあなたの好きな靴メーカーが残っているのであれば、常日頃から買いましょう。そのメーカーなりお店にお金を落としましょう。廃業、閉店してから幾ら悔やんでも手遅れです。
またそのメーカーがデザインや作りで方針転換してから「昔の○○は良かった」と言っても、自業自得です。あなたをはじめ、そういう昔の○○を好きな層が今も継続して買い続けなかったから悪いんです。
最近の○○は妙にデザインに走りすぎてる?高くなりすぎた?色気づきすぎた?
それはそうした靴が売れているからです。今、そのメーカーにお金を出している人がそういうモノが好きなんです。広告や人件費などが上乗せされて一気に高級ブランド化してきた?日本だけ高い?仕方ないです。だって今そのブランドの靴をただ単に好きなだけではなく、実際にお金出して買っている人たちがそういうのを望んでいるんですから。
その上で、私たちが靴にハマりはじめた頃、そしてそれ以降も、陥りやすい幾つかの落とし穴のようなものがありますので、老婆心ながら、また自戒を込めてまとめてみたいと思います。
昔私がジョンロブ(John Lobb)だった頃。
今思うと大変に恥ずかしいのですが。私が何故そこまでジョンロブが好きだったのでしょうか。単にジョンロブだったからです。恐らくジョンロブが好きな、ジョンロブをたくさん持っている自分が好きなだけでした。
もちろんジョンロブ自体は良い靴もあります。ジョンロブをたくさん買うことが悪いのではありません。ただ、当時、私は他の靴に目を向けようとしませんでした。皆格下だと思っていたんです。格下の靴を履く日、時間が勿体ない、と思っていたんです。恥ずかしいですね。格好悪いですね。
勿論靴自体は綺麗にしていました。自分でも磨いていましたが、流石に磨ききれない足数あったので、靴磨きのお店によく大量に持って行きました。足もとも良く写真に撮りました。
その頃の私は本当に靴が好きだったのでしょうか。
次から次へと買いそろえる名のあるブランドの革靴。色違いで揃える「名ラストの傑作」。そして長く留まらずにまた手元から去って行く多くの靴。
それも勿論一つの靴の楽しみ方なのだと思います。コレクターと言えるのかもしれません。
ただ、最近感じること。それは「自分で意識出来て、把握できる数。それがその人の器の大きさ」だということです。
書いたのは半年前なのですが今もアクセス上位に出ることの多い、上の文章。誤解を招いていないか心配でもあるのですが、私の20代の甘酸っぱい想い出です。私に限らず、人は「上質」という名の落とし穴に陥りやすいからです。
私たちは「質」という言葉に弱い。
私たち、特に男性は歳を重ねるにつれて、使えるお金も増えてきます。靴や革製品、更にお洒落に興味を持った時にやりがちなことが、「そのブランドの歴史やストーリー、さらには『上質』に拘る」ということです。
雑誌でも盛んに「上質なモノ」特集が組まれますし、ライフスタイル系の雑誌であれば男女問わず「上質なモノをちょっとだけ」のシンプルな生活が好まれます。
私たちは「質」という言葉に弱い。
けれど、その「質」の基準は曖昧で、何をもって上質とするのか、は意外とバラバラだったりします。そして、「質」を求めるあまり、色々と陥りがちなことが2つあります。
「質」という分かりやすいようでいて、実際には何をもって質が良いかという部分は非常に曖昧です。けれどそうしたものに、人は非常に左右されやすいな、と思います。もちろん価格には価格なりの理由があります。革にもある一つの側面から見れば上質、というものも確かに存在しますし、またこれは質が悪いなぁ、と思うものもあります。
実際、綺麗ですよ。きめも細かくて、美しいなぁ、と思います。でも、カールロッシュだと分かっているから、そう思い込んでいるだけかもしれない。それに…
じゃあこの革を使った、小笠原製靴製のこのヨシノヤの九分半の靴が、誰にとっても良い靴で良い革かといえば、それは違う。
こんな靴、毎日タフに履いて、お手入れもろくにしない人の足にかかったら、一ヶ月持たないでボロボロかもしれない。その人にとっては、こんな柔な靴は使えないと思います。そもそもそういう美しさ自体求められていない。
冒頭の2504なんて、足の形に合えば最強です。ガラス革の本領発揮。ちょっとくらいの雨や汚れなんて、表面で弾いてしまう。ちょっとした傷なんて、付かないか、付いても気にならない。汚れたら硬く絞ったタオルか雑巾で拭えばいい。靴墨(敢えて靴墨)使えばピッカピカ。ピッカピカなら、普通の人には高そうな靴に見える。言うことなしです。
そんな人にとっては、濡れると水膨れっぽくなりやすいコードバンなんて、良い革でもなんでもないわけです。コードバンよりも、ツヤツヤのガラス革のほうが良い革です。何より、タフ。
いや、それちょっと話の論点がズレてるよ。確かに質は存在する。そして上質なものは実際に触れないと目は養われない。何となく意識高い自己啓発な世界で出てきそうな言葉ですが、言いたいことは分かります。ただ、私が伝えたいのは、質という漠然としたものに目を奪われるあまり、大切なことを忘れてしまっていませんか?ということです。
どんなきっかけでも構わないのですが、折角なら靴を好きになって欲しい。
そして私が今回最も気になったこと。質を求める、という気持ち自体は私もあるので分かるのですが、店頭でつま先を押されて潰されて、(結果買って貰えるならまだマシですが)、質が悪いと勝手に判断されて買われなかった靴はその後どうなってしまうのでしょうか。
その中に時々、革の表面を爪で擦ったり、つま先をぐいぐい押し潰す方がいるんです。つま先をぐいぐい押すのは一部はスニーカー感覚でつま先に余裕(捨て寸)があるか見たい方もいるのかな、と思っていたのですが(勿論困ります)、今回目にした文章で、匂いを嗅いだり、つま先を削ったり、押しつぶしたりするのは「革質のチェック」と称するものをどこかで聞きかじってきてそのまま実践している方もいるのかな、と思いました。
買って持ち帰った靴を家で深夜に手に取り、磨きながら靴の表面を撫で、愛で、ウットリしながら革質を云々、と浸るのは自由です。ちょっとこじらせてはいますが、周りに迷惑をかけてはいません。
けれど、それを店頭でやってしまったらどうでしょうか。少なくとも靴好きではないですよね。自分が(根拠の薄い)上質な革の靴を求めるために、店頭のその他の靴を全て粗末に扱ってしまっているのですから。
もちろん革の質がきっかけでも構いません。ストーリーがきっかけでも、雑誌で取り上げられていた「幻の革」だったから、「奇跡の復活」を遂げた革と工房だったから、でも良いんです。
ただ、どんなきっかけでも構わないのですが、折角なら靴を好きになって欲しい。
上の文章は、ネットでたまたま見かけた「店頭で質の良い革を見分ける方法」を読んで感じたことです。この方法はそれなりにアクセス数も多いファッション系のサイトで見かけたのですが、特殊な例ではなく、世の中には数多くの「上質な革の見分け方」というものが存在します(大半は根拠のない我流)。
ただ、それでも上質な革であることが、その靴への愛着を増すのであれば、そして結果として靴を大切にしてくれるのであれば、それはそれで構わないのです。ただ、上でも触れましたが、その結果として「上質ではない」と決めつけられてしまった靴のその先や、自分以外の周囲の世界が見えてない(想像出来ていない)ことが心配なのです。
わざわざ見分けなくても、その人の器と質に合った靴と革が手元にはやってきます。
世の中というのはうまいようにできていて、革のことが分かる人のところには、もしくはその革の良さを引き立てられる人のところには、そのランクの革が届くようになっているんです。私たちのように名前でありがたがって、靴のお手入れよりもまずはシワを如何に綺麗に入れるにはペンが必要かどうかのほうが雑誌で特集されてしまうようなところには、革よりも広告費を大量にかけて名前とブランド力で満足してくれる一見見栄えの良い作りの靴と革が来るようにちゃんとできているんです。
それは決して悪いことではありません。だって一般に出回らないような素晴らしい希少な革が普通に私たちの手元に来て、ちゃんとそれを維持できますか?
日本というのは恵まれていて、もしかしたら世界で最も多くの靴ブランドや、世界各地の様々な上質と呼ばれる革(ブランド)が集まってきています。そして一つの革のブランドにも幾つもの種類があり、更にランク付けまでされています。買われるお客さんもある程度知識も豊富で、店頭でも「これってアノネイ?デュプイ?」というだけでなく「アノネイの○○なんだぁ。ふーん・・。」とアノネイの○○の部分(革に付けられた名前)まで含めて判断される方もいます。そうした肥えた、厳しい目が市場を育てているのかもしれません。けれど、
どんなに良い革であっても、結局それを生かすも殺すも持ち主次第です。一生モノだ、って20万も30万もする靴を買って、勿体無いから冠婚葬祭しか履かなくて、それ以外は大切に保管しているようであれば、決してその靴の状態なんて20万だ30万だの価値は無いわけです。あると思っているのは自分だけです。
結局自分にとって普段気負ってしまって履けない靴というのは、自分の器じゃないんです。いつかそれが履けるような時が来るときのために奮発して買って頑張るんだ。よく聞く話ですね。でもそんないつかは来ません。第一、その靴が果たしてそんな何年後、何十年後に履けますか?自分の足の形一つとってもきちんと日々維持メンテナンスしていないとドンドン衰えて形も大きさも変わっていくんですよ。
世の中にはたくさんの適当に履かれた、もしくはほとんど履かれていない高級ブランドの靴が中古市場に半値近くで溢れかえっています。靴好きは結局長く手元に靴を置けないんです。どんどん増えていく靴。いくら買っても満たされない欲求。一生モノや憧れで買った靴が半年後には他の靴を買うための資金になっている。
オークションを少し眺めれば分かるのですが、世の中はたらい回しにされた名靴で溢れかえっています。質問内容を眺めていると分かるのですが、実際に履いたこともなく、靴の全長と幅だけで判断して購入しようとしている方も多い。そしてサイズが合わずに(大抵大きい)店頭にサイズ調整で持ち込まれることが多いのです。
オークション、ブランド買い取り店、覗いてみると多くの名靴がほとんど履かれず、けれど変な履き皺が入った状態で販売されています。
以前あるお店で訊いたことがあるのですが、買い取りも大体UK9以上がよく売れるし、買い取りも高くなるそうです。
UK9なら27cm、それでも小さいくらいで、最近の若い方は28.5とか29cmでもっと足が大きいですから、と店主。
オークションでもやけにUK9.5だ10だ、といったサイズが多く出回っています。まぁ一部はアメリカなどから仕入れてくるので必然的に大きくなるのもあるのですが。
勿論そのサイズが適正の方も多いです。ただ、全体の比率を考えると明らかに多すぎる。
足が大きい方には助かりますね。誰かが適当に買って、合わないから、とほとんど履かずに半値以下で売ってくれる。お得です。ありがたい。お店も需要が多いから、適当に買い叩いても、すぐ特に考えずにブランド名だけで買っていってくれる人がいる。
オークションって便利ですよ。失敗してもブランド名だけでそれ程損もなく売り捌けますから。大体相場が決まってるんです。とともに、ある程度使いこなせると、間違って買っちゃった状態の良い靴が定価の半額以下で出回ります。分かっている人には狙い目です。とはいえ、靴好きって物持ちが悪いので、意外と次の刺激的な靴が見つかると、手元の靴を資金源にして次々とっかえひっかえ買い換えるので手元には残りません。
そうしてたらい回しにされたブランド靴が世の中には溢れかえっています。
このブログで靴について書かなくなった時、それが私からアクが抜けて本当に靴好きになった時。
せっかく革靴に興味を持ったのに、せっかくあの憧れの高級靴を買ったのに、先輩面の「べきべき論」「ねばならない論」のうるさいおっさんがいるようなこんな世界は嫌だ。私は不愉快だ。
そう思わせてしまったらごめんなさい。あなたを含め大半の方はここで後半で挙げたようなことはないので安心して楽しんで欲しいと思っています。
また、ここまで読まれていて、靴の質と革の質、更にブランド論が一緒くたにされている、と感じられた方もいると思います。確かに少し混同させてまとめて強引に話を持っていってしまった部分は否定できません。ただ、私が感じたことは、巷に溢れる上質論、ブランド論というのは、見ていて(自分も同じような面があるだけに)あまり気持ち良いものではないな、ということです。
折角靴に興味を持ったのであれば、常にそうした落とし穴に陥りがちになることを意識しながらも、靴自体を好きになって欲しい、楽しんで欲しいな、と思っています。
靴が好きで楽しまれている方は、その人なりのルールだったり、靴との付き合い方があるようです。肩の力がうまく抜けつつも、けれど靴に目がないという、そんな姿は見ていて良いなぁ、と感じます。
私はまだ自分(我)が出過ぎてしまっています。いつか、このブログで靴について書かなくなった時、それが私からアクが抜けて本当に靴好きになった時なのかなぁ、と思います。
もちろん、趣味になってしまった時点で正直なところ、アクが抜けるのは難しいです。
革といえばエイジングだ味だと言われますが。
興味のない他人から見れば汚いだけなんです。同じ趣味を持つ人からはいいね!と思ってもらえるかもしれませんが。それは靴好きが集まった時に円になって足元だけの写真を撮ってネットで公開するのと同じです。同じ趣味同士であれば微笑ましい光景ですが、通りすがりの人から見れば怪しい集団ですし、たまたまフォローしていた友人知人からすれば全く面白みも何もありません。これ、自戒・自省の意味も込めて。でも、結局そういった自己満足の世界なんです。
実際、これが趣味の楽しさでもあるわけで、私も靴好き同士が集まった時には思う存分に楽しんでおります。これは革靴に限らず、ですよね?同じ趣味の仲間と話すのは楽しいものです。それを分かった上で、排他的にならず、また周囲から見た時に怪しい集団にならず、またお店でも怪しくならないように心がけたいものです。
最後に、靴が好きな私たちが、靴屋さんに行く時に心に留めておきたい幾つかのこと。
なぜ客である我々が店員に気を使わなければならないんだ、などとバッフンバッフンされないで欲しいのですが、実際に店頭に立っていた時に(同じ靴好きとして)「微笑ましい」けれど「自分を見るようで少し恥ずかしい」な、と感じた幾つかのことを最後に挙げておきたいと思います。
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- 革の匂い嗅がない。
- 靴の底(ソール)を指で叩かない。
- 断りも入れずいきなり勝手にシューツリー抜かない。
- 革のメーカーと名前を訊かない。
- つま先部分を突然爪で削らない。
- 店員さんにいきなり戦いを挑まない。
- 売り場の靴やメーカーの悪口を言わない。
私が店頭にいた時も、一部を除けば上記のような行動をするお客さんは微笑ましく愛すべき人たちでした。でも良いお客さんかと言われれば別で、あくまで微笑ましいお客さんです。度が過ぎなければ。
お店の常連さんってどういう人でしょう?これは靴屋に限らず難しい問題ですね。私は一つには店員さんに余計な気を使わせないお客さんかな、と思います。混んでいる時に限って現れて、声をかけないと不機嫌になる人とかではなく。幾らそのお店で何足も何十足も買っていて、何度も通っていても、だからって甘えてしまうのはよくありません。
折角「革靴」というとても広くて深い楽しい世界に興味を持たれたのですから、お互いに節度を持って、気持ち良く、細く長く楽しんでいけたらいいな、といつも思っています。