元ネタは他にあるようですが、日本が世界に誇る時計ジャーナリスト広田雅将(@HIROTA_Masayuki)さんのツイートを見まして、最近靴に関して漠然と思っていたことを文章にしてみようと思いました。
時計店でETAに文句を言わない人を見て
最近時計に凝りだした人
「その金額にETAとかww素人かなwww」わりと時計知ってる人
「あ!私も2本目はETA買おう」時計かなり詳しい人
「別に好きなように買ったらいい」関係者
「シーガルあります?」— HIROTA, Masayuki (@HIROTA_Masayuki) 2016年5月1日
私たちが靴に興味を持ち始めた頃にやりがちなこと。
お店でやってしまいがちな「匂いを嗅ぐ」「断りもせずいきなりシューツリーを抜く」「靴底を叩く」「売り場の靴やメーカーの悪口を言う」「店員さんに戦いを挑む」「つま先部分を突然爪で削り始める」といった不思議な行動については以前触れたことがありますので、そちらをご覧頂くとして
https://lifestyleimage.jp/?p=8492
今回は私たちが靴に興味を持ち始めたばかりの頃に思わずやってしまいがちなことを挙げてみたいと思います。
ブランド話「雑誌などで有名な海外ブランドでなければ本格靴ではない。」
例えば例として、最近靴に興味を持ち始めたばかりの人でも一度は聞いたことがあると思われるブランド、クロケット&ジョーンズを挙げてみます。
雑誌でも良く取り上げられていますし、ファッション関係から靴関係者まで雑誌やネットで人気のブランドの内の一つです。ただ、最近は若干立ち位置が高級靴にシフトしてきていますが。
ちなみにクロケット&ジョーンズ自体ご存じない方もいるとは思いますので、写真を挙げておきますとこんな靴です。
もう日本においてはクロケット&ジョーンズのハンドグレードといえばこれ、というくらいの代表靴の一つ、オードリーです。で、クロケット&ジョーンズってどんな会社?という話になると長くなるのと蘊蓄伝説セールストークその他諸々ない交ぜになりやすいのでここでは控えますが、英国靴メーカーで、たくさんのブランドのOEM生産をしていて、現在は自社銘でも出しているところです。はい、その程度で大丈夫です。
その程度も要らないかも。靴メーカーです。
清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟は要らず、けれど何となくたくさんのストーリーや絶賛の声があり、愛用者も多く、とりあえずこれ買っとけば間違いない、という指標のような感じです。
ただね、ちょっとタチが悪いんです。このクロケット&ジョーンズ、更にハンドグレードライン。何がタチが悪いのか。
これとりあえず知ると、途端にそれ以下の価格帯の靴を馬鹿にしはじめる人が増えるんです。
「本格紳士靴って言うならクロケットのハンドグレードぐらい買っとけよ」みたいな。ちなみに履いたことがない人でもこの台詞口にします。
本格紳士靴はクロケット&ジョーンズのハンドグレード以上、という、よく理由の分からない法則が出来上がります。クロケット未満は本格靴に非ず、みたいな。
ちなみに一応出しておきます。Amazonでの価格です。
最初に引っかかったので、同じく人気のベルグレーブ挙げておきます。10万弱まで上がったんですね、最近。
何が伝えたいかと言うと、クロケット&ジョーンズのハンドグレードは良い靴です。
もちろん良い靴だと思います。別にクロケットを叩きたい訳ではありません。綺麗ですし、手にした時の満足感もある。そりゃ、10万円の靴ですから。でもね、革靴は別にクロケットのハンドグレードくらいの価格を出さなければ本格靴ではない、という訳ではありません。大抵そういう方が馬鹿にしがちな3万円前後の紳士靴。このブログを以前からお読みの方であれば既にご存じかと思いますが、3万出せばかなりしっかりした良い靴が手に入るんです。
更に、予算2万円以下を考えても、決して馬鹿にしたもんじゃない、良い靴は幾らでもあります。
クロケット&ジョーンズは確かに良い靴です。ただ、誰にとっても良い靴か、と言われれば別です。確かに無数の木型が存在しますので、その中には自分の足に合うものも出てくるでしょう。もちろんハンドグレードだからといって無条件に褒められるものではありません。
実際数年前はあまりに人気が出すぎて生産が追いつかず、途中の工程の日数を短縮させたために、一時期作りが急激に落ちた時があります(その頃は買っても修理というよりも不良でお店に持ってくる方も多かったそうです。複数のお店で当時聞きました。)。最近は分かりませんが、昔下請け的に良靴を誠実に出していた頃に比べるとムラが出てきたな、と感じることもあります。
もちろん世の中でこれだけ知られている、多くの人が履いている、ということにはそれなりの理由があります。今回やり玉に挙げてしまったクロケット&ジョーンズも、そうした良い靴の中の一つに過ぎません。けれど、先日のユニクロ&ルメールの「五年に一度あるかないかのマストバイの珠玉の名作」と煽られたキャンバススリッポンのように、つい無条件で知られている、カリスマが言っている、というだけで絶対だと思ってしまう危険が私たちにはあります。
https://lifestyleimage.jp/?p=14980
クロケット&ジョーンズの靴を長年愛用している人は、むしろ何も言いません。きっと「良い靴だよ」と言うくらいでしょう。靴のブランド名だけで馬鹿にしたり優越感に浸ったり、ちょっと靴を知っているような気にならないように(私も含めて)したいものですね。
製法話「3万円程度じゃ本格靴ではない。その程度じゃセメント製法が普通。」
同じくよく見かけるのが製法話。最近見かけたのが「3万円程度じゃセメントしかないから」というものです。一種のパーティージョークのようなものかもしれませんが、靴好き、元靴屋としては、これって危ういなぁ、と思うんです。理由は2点。
- 「お金を出さないと本格靴は買えない。それも3万程度じゃ大した靴は買えない」という誤解。
- 「セメント製法」はダメ、という誤解。
本格靴かそうでないかの違いというのはどこにあるのでしょうか?この境界ってとても曖昧だと思うのです。また、雑誌や書籍を読んでいると、高級紳士靴は10万円から、という話も良く出てきますが、そもそもこの「高級」というのはどういう定義なのでしょうか。
靴の良し悪しは製法だけでは決まりません。勿論革でもありませんが。
一般的に少し靴に興味を持ち始めると毛嫌いしがちな「セメント製法」。「ガラス革」と同様に、こり始めたばかりだったり、聞きかじった程度の人がよく口にします。
あとあるのが手縫い信仰。とにかくハンドメイドであれば素晴らしい、という類いのモノです。これが合わさって「ビスポークこそが最高峰」「ハンドソーン・ウェルテッド製法が素晴らしい」「マッケイなんて格安靴でしょ」「セメント?論外」という話になります。
靴に携わっている人で、製法の優劣を、ハンドウェルト〉グッドイヤーウェルト〉マッケイ〉セメントと言っている人は、勉強&実践不足と言わざるを得ません。
— ZinRyu (@Zin_Ryu) 2015年3月3日
靴の履き心地を決めるのは製法ではなく、それ以前の過程にある、とはこのブログでも度々ツイートを引用させて頂いている靴職人のZinRyu(@Zin_Ryu)さんの言葉ですが、ちょっとその時のツイートが見つからない(既に1年以上前なので)ので、見つかり次第ご紹介します。
また、あまりこの辺り詳しく書くと脱線し過ぎるので、簡単に触れると、靴メーカーの視点からすればある程度のコストで靴に綺麗な形を出すのであれば、下手にグッドイヤーウェルト製法やマッケイ製法だとするよりもさっさとセメントにしてしまった方が綺麗になることもあります。そりゃそうです。接着、圧着しちゃうんですから、細かい縫いの手順が要らない分、形さえきちんと作れるのであれば楽ですし、コストも他に充てられる。靴好きが陥りがちな細部の細かい仕上げなども、全てではないですが、必ずしもわざわざやる必要なんてないんです。
それぞれの製法に良さがあります。ただ、知識が増え始めるにつれて、これらに甲乙つけたがります。甲乙つけるぐらいならまだ良いのですが、いつの間にか序列が出来て、馬鹿にしはじめてしまうようになります。
知ったばかりの頃は色々その言葉を使って暑く語りたくなるのは分かります。何故なら私がそうですし、このブログが何よりの見本だからです。人はちょっと知識を得ると急に偉そうになります。なるべくそうならないように気をつけたいものです。
「本格靴好き」よりも「靴好き」が増えて欲しいな、と思っています。
私は20代~30代にかけて、一時期ジョンロブ好きでした。1ヶ月手持ちのジョンロブを1日1足ずつ順番に履くだけでローテーションが組めてお釣りがくるくらい棚に並べていたことがあります。同僚に付けられた呼び名が「ジョンロブ」でした。ちなみに2009年のイヤーモデル(国内販売価格33万6000円)はもちろん定価で色違いで3足買いました。
今思うと大変に恥ずかしいのですが。私が何故そこまでジョンロブが好きだったのでしょうか。単にジョンロブだったからです。恐らくジョンロブが好きな、ジョンロブをたくさん持っている自分が好きなだけでした。
もちろんジョンロブ自体は良い靴もあります。ジョンロブをたくさん買うことが悪いのではありません。ただ、当時、私は他の靴に目を向けようとしませんでした。皆格下だと思っていたんです。格下の靴を履く日、時間が勿体ない、と思っていたんです。恥ずかしいですね。格好悪いですね。
勿論靴自体は綺麗にしていました。自分でも磨いていましたが、流石に磨ききれない足数あったので、靴磨きのお店によく大量に持って行きました。足もとも良く写真に撮りました。
その頃の私は本当に靴が好きだったのでしょうか。
次から次へと買いそろえる名のあるブランドの革靴。色違いで揃える「名ラストの傑作」。そして長く留まらずにまた手元から去って行く多くの靴。
それも勿論一つの靴の楽しみ方なのだと思います。コレクターと言えるのかもしれません。
ただ、最近感じること。それは「自分で意識出来て、把握できる数。それがその人の器の大きさ」だということです。
別にこれは器を大きくしましょう、とか器が小さいとダメ、ということではありません。
靴が好きで楽しまれている方は、その人なりのルールだったり、靴との付き合い方があるようです。肩の力がうまく抜けつつも、けれど靴に目がないという、そんな姿は見ていて良いなぁ、と感じます。
私はまだ自分(我)が出過ぎてしまっています。いつか、このブログで靴について書かなくなった時、それが私からアクが抜けて本当に靴好きになった時なのかなぁ、と思います。