[かぶ雑感] GIGAスクール構想におけるPC選定の話題の度に出てくる「Chromebookは学校教育に不向き」について。学校のPC教育に何求めてるんですか?(2020.6.23)

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[かぶ雑感] GIGAスクール構想におけるPC選定の話題の度に出てくる「Chromebookは学校教育に不向き」について。学校のPC教育に何求めてるんですか?(2020.6.23)

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盛り上がりかけていたところに、最近のご時世で巷では何となく少し忘れ去られた感のある「GIGAスクール構想」。この構想は別としても、この時期、むしろ現場では突然オンラインでの授業など非日常の学校生活を求められた訳でむしろ大変だったのではないか、と思います。そして構想云々以前に、今後の学校教育の形は変わらざるを得ない状況に来ているのだろうな、と感じます。そうした中、

昨日、「横浜市におけるGIGAスクール構想の方向性」において、端末として小学校はiPad、中学校、高等学校はGoogle Chrome(恐らくChromebook)が選定された、いうことが一部で話題になりました。

で、こうした話題が出てくる度に、毎回のようにPCに詳しい方々がネットで色々言うわけです。曰く

  • 社会に出ればWindows、Microsoft Officeが主流なのに。」
  • 「Chromebookでは○○(特定のアプリ)が使えない。」
  • ウェブ閲覧しか出来ないような低スペック端末を選ぶとか、教育現場は何考えてるんだ。」

等々。

個人的には「教育現場は何考えてるんだ」とか言ってるあなたの方が一体何考えてるんだ、と思っているのですが、その辺りも含めて少し触れてみたいと思います。

そもそも、日本の教育現場、中学校や高校で行う授業で何をやると思ってるんでしょうか。

何か私たち社会人が必要に迫られて通うような「初めてのMicrosoft Office集中講座」とか「あなたも今日からYouTuber!サルでも分かるAdobe Premiere Pro 2020」といったパソコン教室のような授業を思い浮かべているのでしょうか。

そもそも、学校におけるGIGAスクール構想は、何も「社会に出て役に立つ(かもしれない)特定のメーカーのアプリを使えるようにするために一から使い方を教える」という類のものではありません

従来のカリキュラムに則った授業において、そこにPCなどのツールを用いることで、共同作業や場所を選ばない授業を実現するものであり、また日々放課後も翌日の授業のために添削から翌日の資料作成まで膨大な時間を取られてしまって、肝心の教育に力を割けない教職員の負担を減らす。そうした補助のためのツールとしての役割です。

中学生や高校生がMicrosoft Officeに慣れ親しむためのPC講座じゃありません

実際、昨年の話になりますが、既に日本で言う中学入学の頃から学校にiPadが導入され、それから5年近くG Suite for Educationをベースに、自宅での課題や教師との連絡、レポート等々に活用している北米在住の従兄弟に話を訊き、実際に目の前で課題をやっているところを見せてもらったことがありました。

2019年2月下旬から3月頭にかけて、LAで暮らす叔父の家を訪問しておりました。叔父には現在16歳の息子がおり、現在El Segundo High Schoolに通っています。滞在中、学校の課題をiPadとG Suite+αを自然に活用しながら取り組んでいる従兄弟の姿を度々目にしました。そこで折角なので彼の学生生活におけるタブレットの活用について訊いてみました。

かなり地域でも恵まれた(金のある)学校に通う従兄弟でさえ、別に授業で何か特定のOSに依存するようなアプリの使い方を覚える、活用するような授業は行っていませんでした。

iPad用の学習アプリ(Duolingo)をスペイン語の授業のために使ってるくらいで、あとは基本的にブラウザやGoogle Classroom開いて、そこから課題や試験の日程を確認したり、

そこでGoogle Docs等でレポートを作成したり、電子教科書やGoogle Classroom経由でそれぞれの教師から提供される資料や、資料のあるサイトを読み込んだり、といった範囲です。

それも、学校に導入されてから何年も使ってきて、使い慣れてきてようやく使用頻度がより増えてきた、という感じです。

PCは目的ではなく、あくまで授業を円滑に進め、かつ今まで以上に幅広い可能性を持たせる為の手段、ツールに過ぎないのです。

でも冒頭のような話題になる度に、PCに詳しいと思われる私たち(但し、教育現場に関してはド素人)の上から目線の教育現場批判とPC選択批判は、どこか目的と手段を履き違えているようなものが多々見られます。

学校の授業に何を求めてるんですか?プログラマー養成の専門学校とは違うんです。

もちろんお金があり、ある程度独自のカリキュラムを行うことが出来るような私立の学校では(そうした学校ほど導入も早ければ、既に活用しているところも多い)より専門的なことや、生徒1人1人の学びたいことに合わせて、それを伸ばすような授業や教育が行われるかもしれません。

けれど、政府の推し進めるGIGAスクール構想は、別にMicrosoft Officeが学生の頃から使いこなせるような社会人予備軍を育てたいわけではないんです。極端な話、彼らが社会に出る五年後、十年後にOfficeどころか、WindowsやmacOS(今朝のWWDCで新たな方向性が発表されましたが)が今のままで存在するとは限りません。

それよりも、何か調べたいことがあったとき、もしくは共同作業や研究をしたいときに、何の抵抗も無く手元のPCをツールとして使える。それも「これ、自分の使ってるOS(PC)と違うから使えない」的な社会人でもありがちなことが起きずに、巷で若干使い古された感もある「デジタルネイティブ」的に柔軟な頭で適応できる。そのために、学生の頃からPCやタブレットを(ゲームだけでなく)ツールとして使いこなせるようになることが大切なのではないか、と思っています。

もしかしたらあなたの愛するOSを載せたPCが採用されないことは気分が良いことではないかもしれません。けれど、学校教育で採用されなかったからといって、そのOSやPCがなくなる訳でも否定された訳でもありません。あなたの愛するOSは変わらず素晴らしいです。

むしろアップデートしなければいけないのは、教育関係者の意識や頭ではなく、私たち自身の(学校卒業以降全くアップデートされていない)知識や古い感覚(学校教育というものへのイメージ)なのかもしれないな、と思っています。

文科省が打ち出したGIGAスクール構想。その目的には「子どもたちの個性に合わせた教育の実現」というものがあります。巷では学校におけるPC教育について、主にPCが得意(日常)な方々のイメージするようなより中身の濃い充実したプログラミング教育が求められているようですが、現場の状況は果たしてどうでしょうか。今回は「所得格差や教育格差を生まない、感じさせない」ことを重要と考える義務教育との間のジレンマについて書いてみたいと思います。