先日書いた文章がそれぞれそこそこお読み頂けているようで、それなりに色々反応も頂いています。
ありがたいですね。
例えば「Chromebookは安さがウリでもコンセプトでもありません」という話には
「で、コンセプトは何?」という率直なご意見。
また、私が「こんな使い方してみたいな」と思っている妄想を書いた記事に絡めてかどうかは分かりませんが、
「Macのオタクと比べて、Chromebookのオタクは具体的な活用のビジョンみたいなのが見えなくて嫌い」
「Chromebookについてのブログ記事執筆!とかさ、Chromebookを使いたいがためにわざわざ作業してる感」
といった厳しいものもありました。
それに限らず、ネットを眺めていても、
「Chromebook興味あるけど、買っても活用出来なさそうだから買うのを躊躇してる」
「Chromebookで出来ることは他のPCでも出来るから買う意味がない」
といった話はよく目にします。
でも考えてみると、私25年来のWindows PCユーザーですが、「Windows PCの思想やコンセプト、ビジョン」なんてさっぱり分かりませんし、考えたこともありません。
MacBookも最近使い始めましたが、じゃあ「macOSに流れる思想、コンセプト」なんて良く分かりませんし、人に説明できる自信もありません。何より考えたこともないですし、別に考えなくても普通に便利だと思って使ってます。
それじゃダメなんでしょうか?
まぁ確かに分かるんですよ。
従来のOS、PCと何が違うの?敢えて買い換える必要あるの?という疑問は普通ですし、まだまだ10年程度の歴史しかないOSです。日本で知られるようになってきたのは、一部のマニアを除けばここ数年、突然です。
となると、やっぱり多くの方にとっては「そこに流れる思想」「他とは違うコンセプト」「ならではの強み」「存在意義」みたいな大義名分だったり意味づけ・理由付けが欲しくなってしまうのはあると思っています。
ちなみに、私がこのブログで6年近く「Chromebookとは」「ChromeOSとは」と書き続けているのは、一ユーザーが使い続けてきて感じた魅力だったり、良さだったりを、自分なりにまとめているだけであって(もちろんコンセプト的なものなどについては、発表当初の記事や資料等も調べながらまとめたりはしてはいるものの)基本的には私個人の考えです。
ただ、それは「そうした思想やコンセプトを知らないと使えない」「活用出来ない」ということではなく、単純に使っていて楽だったり、便利だったり、快適だったり、何より楽しかったりするので、趣味でもあるんです。だから、色々そういうことを考えるのが好き、楽しい、というだけであって、別にそんなこと考えなくても普通に使えます。
だって、先ほど書きましたが、私はこの25年近く、Windowsに関しては思想もコンセプトも強みも特長も知りもしなければ、考えたこともなければ、考える気もないからです。
別に考えなくても普通に使ってますし。
ただ、元々PCが好きな割に、Windowsだとそうしたことは考えない、というのは、そこにWindowsに求めているものとChromeOSに求めているものが私の中で少しズレがあるのかもしれません。
つまり、何が言いたいのかというと、
便利だったり、楽しかったり、使ってみたかったり、といった単純な理由で良いんじゃないか
ということです。その上で、自分なりに魅力にハマったら、その時そういう思想だコンセプトだビジョンだなりを考えるのも1つの楽しみ方なんじゃないかな、と思うんです。
順番が逆なんじゃないかな、と。というか、逆で良いんじゃないかと。
このブログは元々は「革靴のお手入れと選び方」を中心に発信してきました。あとは腕時計とか。
私が20代から30代にかけてハマった趣味について、自分の経験してきたことを(まぁ実際そうした仕事に就いていた、というのも大きいですが)発信してきたのがきっかけです。
でもその時も、今も、感じていること、常に前提となっていて、発信してきていることがあります。それは、
理由なんて後付けで良いから、「履きたい」「腕にしてみたい」「使ってみたい」という気持ちを大切にしてください。
ということです。
「外を歩かないといけないから、仕事で必要だから履く。」
「仕事で常に時間を確認しないといけないから腕にする。」
「仕事で必要だから使う」
のであれば、それはあくまで必要性に迫られた「道具」です。
勿論それが悪い、という意味ではありません。目的があって、必要なので使う。
でも、
「この靴を履きたいから、ちょっと街に出る。それに合う服を選ぶ。」
「この時計をしたいから、それに合ったお洒落を楽しむ。別に時間を知りたいわけじゃないのに、何度も文字盤を確認してしまう。」
「どうしても使いたいから、意味も無く触ってしまう。使い途を色々探したり、考えてしまう。」
といったこともアリだと思うんです。それは「趣味」です。
そして、過去腕時計でも革靴でもそうなのですが、お客さんで、例え「道具」であろうが「趣味」であろうが、「存在を忘れてしまう」と、その物への興味や関心、愛着はどんどん薄れていきます。そして、薄れていってしまったものは、扱いが雑になるし、気がつくと使わなくなってしまう。また、革靴や時計であれば、どんどんみすぼらしくなっていったり、故障したりします。
これは何も科学的に証明できているわけではなく、あくまで仕事として沢山のお客さんと接してきての経験に過ぎません。
だから、Chromebookもそれで良いと思うんです。
コンセプトも具体的な活用のビジョンも必要性も、そんなの後付けで良いじゃないですか。
頭で考えたって、正解は出てきませんし、何となく出てきたとしても、心が動かなければ使わないし、使う頻度が減れば、慣れもしない。慣れなければいつまで経っても使いにくいし、愛着も湧かないから「使いにくい」「クソ」「ゴミ」ってなっちゃうんです。悪いところばかりが目に付くようになる。
どんな靴でも、一番良いのは常日頃からこまめに履いてあげることです。革靴が趣味のコレクターが物持ちが悪いのは、自分の器を超えて靴を所有しすぎてしまって、全てに意識が向かないからです。移り気が早くなってしまうのです。何故なら触れる回数が減ってしまうからです。もちろん趣味になってしまったことで、次から次へと魅力的な靴が目の前に現われて目移りしてしまいがち、というのもあると思います。
人間関係でも、モノとの関係でも、接点を増やすことが大切です。人間関係であれば無駄に頻繁に会う必要はないかもしれませんが、それでも「単に思っている」だけではなく、「あいつ、最近どうしているかなぁ」と思ったら連絡してみる。幼なじみでも大学時代の友人でも、以前の職場の同僚でも。意外と相手もそう思ってくれているかもしれません。何もこまめに食事をしたり遊びに行く必要はないけれど、気がついたら連絡だけでも絶やさない。それと同じです。靴も「忘れない」ことが大切です。
でも、人間、触れる頻度、意識する頻度が増えれば増えるほど、あっさり慣れるんです。慣れって結構不思議だし、凄いです。「使ってみたい」「特に目的はないけど楽しい」みたいなときって、頼まれてなくても、無理しなくても、気がつくと慣れてるし、使い方も覚えるのが早い。
確かに歳を重ねれば重ねるほど、何かを始めるのに理屈や理由が必要になってきます。頭で納得できないと行動に移せなくなってきます。それを老いというのかどうかは分かりませんが、本当はそんな尤もらしい理由なんてどうでも良いじゃないですか。
使ってみたいと思ったら、とりあえず買ってみる。その時に用途なんて思い浮かばなくたって良いんです。
ちなみに私がChromebookを購入したときの理由なんて単純で「ちょっと出先でブログ更新出来たら良いよな」と手軽な価格のノートPCを探していた(自宅にはハイスペックのデスクトップPCがあったので)だけです。それがたまたまChromebookだった。でもそれ以前に、何か楽しそうだと思った。面白そうだと思った。それが一番大きいです。
で、使ってみたら、案外便利で、となったらもっと色々使ってみたくて、使えないかと思って、試行錯誤したり、色々魅力を考えてみたりしていたら、6年間、何だかんだと楽しく使い続けてるんです。
私のChromebookの用途なんて、別に他OSのPCでも代用できるんです。
それを他人が見れば「別に○○でも出来るじゃんw」と馬鹿にするかもしれませんが、そういう話じゃ無いんですね。
なので、もっと気軽に、「どう活用出来るか」「用途が思い浮かばない」とか考えるのも良いですが(そりゃ失敗は誰でもしたくないですから)、とりあえず心が動いたのであれば、使ってみて欲しいな、と思ってます。
コンセプトだビジョンだ存在意義だ、といった小難しい話は、使ってみて、好きになったら、その後で考えませんか?
その時には、是非私も色々お話出来たらいいな、と思っています。