長く靴と接していると、時として靴に魅力を感じられなくなっている自分に気づくときがあります。いわゆる「倦怠期」です。誰にでもありうることなので、それほど深刻になることではないのですが、せっかく縁あって出逢えた靴です。これからも長く愛用していって欲しいですし、常に暑くなくても良いので細く長く付き合って言ってほしいな、と思っています。
私の場合には「革靴」と「腕時計」「革製品」「PCやスマホ」などがローテーションで自分の中で盛り上がるため、今盛り上がっているジャンル以外のものに関しては、なるべく行動を起こす(無理に手放したり、情報を仕入れたり)ことはしないようにしています。そういうときに採る行動って、意外と後になって後悔することが多いので(スーツの深夜ゴミ袋放り込み大量処分など)。
前回、「惚れ直すためのプチイベントの大切さ」について書きました。
そこで今回は「倦怠期」を迎えてしまったあなたへ、私が店員時代に学んだ、靴の魅力に改めて気づく簡単だけれど効果的な方法をご紹介したいと思います。
毎日店頭に立っていると、日々大量に入荷する靴に時々何も感じられなくなる時がある。
こういうことを書くとまたAmazonの電子書籍レビューあたりで「店員さんがそういう感情を持っていることに幻滅した」なんて書かれてしまいそうで怖いのですが、
(今もコンスタントにお買上げ、お読み頂いているようで、とても嬉しいです。引き続きご感想、レビューお待ちしています。)
別に革靴が嫌いなわけでも嫌になったわけでもありません。ただ、時として何十足、何百足と大量に似たような靴が山のように目の前に積まれて運び込まれてくると、一足一足を眺めている中で「何がどう良いのか分からない」「この靴の何が魅力的なのかさっぱり分からない」と思ってしまう、もしくは何も感じられなくなってしまっている自分に気づいてしまうときがあります。
これは靴に限らず、好きなものを仕事にした方であれば、大なり小なり感じるときがあるのではないか、と思っています。好きなモノだけを眺めていれば良い訳ではありません。また、諸々の事情で他店舗では良い縁に出逢えなかった靴、様々な大人の事情で生まれざるを得なかった靴というのも多々あります。
ハッとさせられた、先輩が何気なくしていたシンプルだけれど素敵な靴との接し方。
店頭には日々たくさんのお客さんから修理のため預かった靴が戻ってきます。これらをお返しする前に、私たちはクリームやクリーナーできれいにお手入れをします。同様に、お客さんが購入された一足一足も、お渡しする前に予め簡単なお手入れ(磨き)をしてからお渡ししています。
ある時、3足同時に買われたお客さんがいまして、私一人で3足とも磨くには少し時間がかかるので、手の空いていた先輩に1足お願いしたことがありました(というかよくあることではあるのですが)。その時、その先輩がある言葉を口にしたのです。
「いやぁ、いいねぇ、ほんと。」「良い靴だなぁ。」「磨いたらますます素敵になったなぁ。」「最高だよ、たまらないね、これは。」「うん、良い艶だ。」
もう磨きながら、磨いた後も、ベタ褒めです。別に私に向けて話しているわけではなく、半分は自分自身に、そして半分は今目の前にある磨いている靴に向けて「声を出して」褒めているんです。顔見ると嬉しそうです。半分は自分自身に、と書きましたが、半分そんな自分にも酔ってます。
別にその靴は巷で噂の至高の靴職人が作ったあの手縫い靴だったり、あの最高峰ブランドの高級靴というわけでもありません。普通の靴です。もちろんたった今までお客さんと一緒に選んだ靴ですので、私の中でも十分におすすめできる(嘘をついて買わせた訳では決してない)一足です。
けれど、その先輩にとっては、もちろん自分のお店で扱っている靴ではあるものの、特別な思い入れのある一足ではありません。でもその言葉は茶化しているわけでもバカにしているわけでもありませんでした。本当にきれいになった靴に満足しているのです。
その言葉を聞いた途端、私の中で、その靴が妙に愛おしくなってきました。この靴をこのお客さんに選んでもらえて良かった、と心から思いました。私にとってもこの靴は「素晴らしい」「最高の」靴に感じられたのです。
それからは店頭で靴を並べ替えるときも、接客後に箱にしまうときも、また普段から店内の掃除をしているときも、さり気なく声をかけるようにしました。今まで以上に意識して、です。すると、靴がそれに応えてくれているかのように、今まで以上に輝いて見えるのです。もう色気もムンムンに出てきている感じです。いや、大げさではなくて本当に。
普段から思っていることはきちんと言葉にしよう。口に出して褒めよう。
何となく目の前の靴に何も感じられなくなってきたときには、ぜひ声を出して褒めましょう。嘘をつく必要はありませんが、別に誰が聞いているわけでもありません。少し大げさなくらいにその靴を褒めてみましょう。靴ではなく自分の磨きの技術に惚れても構いません。理由はなんでも良いんです。
「いや、この中敷きの焼け具合、最高だね。」「そのつま先にゾクゾクくるね」「この傷、ワイルドだね」「良い艶だ」「この土踏まずのくびれがたまらないね。」「美しくて震える」「良い表情してるなぁ。」「いや、ほんと良い靴だね。」「いつも足元を支えてくれて本当にありがとう。」
クリームやワックスを使うかどうかは自由です。褒めているうちに何となく更に美しい姿を見たくなったら加えてみても良いかもしれません。けれど、別にいつも通りのブラッシングと乾拭きだけでもまったく構いません。
もう自己満足の世界で構わないんです。思う存分に革靴に話しかけてみてください。もちろん黙々と磨きながら心で思っても構いません。心の中で思う場合には「じんわりと」心の中に愛情が広がっていくのを感じられるでしょう。声に出して言ってみると、また違った感情が生まれてきます。心の中で思うのがジャジーでムーディーな感じなら、口に出して褒めてみるのはさしずめ阿波踊りみたいな感じでしょうか。
「倦怠期」を抜けたら、今度はぜひ身近な大切な人にも普段から口に出して気持ちを伝えてください。
「流石にこれはない」「このブログもいよいよネタ切れか」「最近スピ系や自己啓発系入ってきたよね」
もしかしたらそう思われるかもしれませんが、私本気でこれ書いてます。口に出すって大切なことなんです。時々妻に聞こえているようで、はじめの頃は苦笑されていましたが、最近はまったくスルーされてます。ただ、昨夜「こんなことブログで書いたら流石に引かれるかな‥?」と妻に訊いたところ(意外と小心者)、
「いや、大切なことだと思うよ。実際、あなた楽しそうに靴磨いているし、何より普段私に対してもいつもしつこいくらい口にしてるじゃん」
と背中を押してくれました。振り返ってみると、確かに妻に対しても毎日のように暑い想いを口にして聞き流されています。正直鬱陶しいと思います。ウザいと思います。重いと思います。けれど、鬱陶しさも暑苦しさもウザさも重さも19年続くと日常になります(ただし19年続いてしまっているため、倦怠期は訪れたことがありませんが)。今まで受け止めてくれて本当にありがとう。これからもよろしく>妻
「最高です!」と意味もなく叫べば宗教になります。けれど、靴に限らず、思ったことを素直に相手に伝えることは大切なことだと思うのです(悪口や罵倒は別)。今回のテーマのように「倦怠期」であったとしても、それでもそういう気持ちで靴を眺めてみると、不思議と何かしら魅力や褒めたくなる部分が出てくるんです。出てこない?その場合には何だって良いんです。「そのつま先の潰れ具合がセクシーだね」でも構いません。いや、それ、ぜひ口にしてみて欲しい。
今回の文章はもしかしたら今まで書いてきたことの中で最も怪しい内容かもしれませんが、個人的には誰でも簡単にできるシンプルなことだけれど、案外効果的な方法なのではないかなぁ、と思っています。