追記:2018年3月21日 12:00 更新
昨日3月20日、東京地裁が「シリア人4人から出ていた難民認定を求める訴え」を退けました。このことについて一部で大変話題になっていまして、様々な意見(大半が国や司法に対する批判)が交わされています。
ちなみに私はこの裁判については何度か傍聴していますが、関係者以外はほぼ傍聴者はおらず、毎回閑散とした中で行われ、また話題になることもありませんでした。そう考えると、今回「訴えを退けられた」ことで話題(トレンド入り)したことはまだマシだったのかもしれないなぁ、と感じています。
「生活保護」「移民や難民」と聞いたとき、何故か私たちは真っ先に「不正受給」「不法滞在者」といったごくごく一部の限られた例外が、さも本質であるかのように捉え、「そもそも良くないもの」と思いがちだな、と最近感じています。それらの例をとって「けしからん」的意見もニュースの時限定で目にします。けれどそうした一部の例外の裏には遙かに多くの、実際に苦しんでいる、困っている人がいる、という事実にも、目を向けて、意識してみて欲しいな、と思います。
追記ここまで。以下本文です。
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ここ1、2ヶ月ほど、ネットではあるイラストレーターの難民イラストが話題になり、感情的なバッシングなどの中で炎上していますが、それがかえって話題となって、このたびそのイラストレーターの本が出版されるそうです。
偽装難民。言いたいことは分かりますし、実際にそうした方々も僅かにいるのは確かです。そして、そうした方ほど何らかの形でメディアで出てしまった時に騒がれやすいので、ごくごく一部の人達の行為がその他大勢の印象にまで影響してしまうのは悲劇だと思います。
恐らくこれを読まれている方も、そして私自身も心のどこかで微かにでも考えてると思うんですよ。難民だけでなく、生活保護の不正受給や公務員は甘い汁を吸ってる、等々の刺激的なニュースばかりに晒されて、生活保護受給者なら誰でも、公務員なら誰でも、そして難民申請者なら誰でも、そうした不正な奴ばかりだ、と。
全くそういう気持ちはない、と言う人がいたら、それこそ偽善者だと思います。だって、実際に全くいない訳ではないですし、現場に携わればかえって純粋でいるだけでは何も出来ない状況に追い込まれますから。
けれど、そうした中で改めて言いたい。今回も難民について皆さん熱く語って善悪を議論していますが、そもそも日本って難民受け入れてますか?受け入れた上での問題ですか?ただ単に海外のメディア情報聞きかじってわかったフリしてるだけですよね?
そもそも日本の入管って行ったことありますか?受け入れもしないで、とにかく脊髄反射で拒絶してる(ならまだしも知らないで済ませてる)だけですよね。それなら正直、地方の限界集落の閉鎖されたムラ社会と同じです。
茨城県牛久市にある入国者収容所東日本入国管理センター
茨城県牛久市に入国者収容所東日本入国管理センターというものがあるのを知っていますか?日本では他に入管と呼ばれる施設は大阪府茨木市、長崎県大村市などにもあります。
このブログでは過去何回かこの牛久の入国者収容所東日本入国管理センター(以下入管)に夫婦で面会ボランティアに通っていることに触れましたが、これは皮肉でも何でもなく、恐らく大半の方は牛久にこうした施設があることも知らなければ、どういう場所なのか、何が行われているのか、なんて知りもしないし興味も無いと思います。
何故なら、知らせたくないし、興味も持たせたくないから、敢えてこんな人里離れた(失礼)外部から見えないところにひっそり立ってるんですから。(まぁ、住宅地のどまんなかに建てたら建てたで良識派の市民から苦情が殺到するんだろうけれど)
最近は刑務所の文化祭が大人気ですが、入管の文化祭はもちろんありません。
何故ならそもそも日本にいてはならない(と日本が決めている)人たちを強制的に帰国させるまでの間、基本的に見つけ次第強制的に全員収容させて隔離させておく施設ですから。こんな表現すると陰謀論だなんだと言いたくなるかもしれませんが、日本政府(法務省)としては、存在自体、なるべく国民の大半には興味を持たずにいて欲しいと思っていると思います。
なので、大人気の刑務所の文化祭と違って、入管に文化祭なんてもちろんありませんし、刑務所のように仕事もさせませんし、外にも出しません。何らかの軽犯罪などで先に府中刑務所に入っていて、そこから入管に送られた外国人の話を聞いたことがありますが、中の環境は明らかに刑務所のほうが快適、良好だったそうです。そりゃそうだ、人権すらほとんど無視されていますから。
所内は全面撮影禁止ですし、生活空間は限られた政治家等がごくたまにしか入れません。
結局私たちも収容された外国人の話などを元に管内の状況を知るしかないのですが、継続的に活動をされている方々が出版された本があります。これが非常に分かりやすく、また状況を伝えていて一度は読んでいただきたい本です。
わたしたちはテレビで難民を見ることがある。何もない難民キャンプで病気の赤ん坊を抱いて困り果てている母親たち。足を地雷で吹き飛ばされ、義足もなく困り果てている人たち。勉強もできずおなかをすかせて困り果てている子どもたち。
私たちはこのような人たちを見て、何かしたいと思う。お金を寄付する人もいるだろう。援助団体に就職して難民キャンプへ行く人もいるだろう。
でも、テレビで見る難民以外にも、困り果てている人たちがわたしたちのすぐ近くにいることも忘れないでほしい。自分の国に帰ることもできず、収容施設で日々を送っている人たち。国境と国境のはざまに落ちてしまって身動きのとれない人たち。入館施設に収容され、国境を超えることができず身動きがとれなくなった人たちにわたしたちができることは、その存在を知ること、話を聞くこと、そして日本の社会や制度をかえるよう働きかけをすることであろう。
本書は「その存在を知る」機会となる一冊である。
私も妻がこの本を持っていた(今は裁断して電子書籍にして持ち歩いていますが)関係で先日ようやく読みましたが、実際に面会ボランティアで毎回何人もの外国人と面会して話を聞くとたいてい似たような状況が今も変わらず出てきます。もちろんすべてをそのまま鵜呑みに出来るわけではなく、仮放免を得たいがために話を作っている外国人ももちろんいたりもするのですが、それを考慮に入れても、決して内部の状況とそれ程乖離していない、むしろ今でもかえって悪くなっていたりする部分もあります。
入管職員は「センセイ」と呼ばれて(呼ばせて)いるそうです。
実際に、話を聞いていると一瞬同じように面会に来る弁護士の先生のことを言っているのかな、と思うのですが、違うんですよ。入管の職員は収容所に送られてきた外国人には自分たちのことを「センセイ」と呼ばせるそうです。
中ではもちろん「センセイは優しかった」という声も多く聞かれますが、殴る蹴るの暴行も含め、非人間的な行為も多々行われています。それらは仕事上仕方のない行為である場合もあるでしょう。
ただ、実際に牛久の食堂(職員と研修生、一般の面会者が使える)で毎回お昼を食べるのですが(これがまた安くて量も多くて美味いんですよ。もうこれだけを目的に最初は試しに訪れてくれても良いのではないか、というくらい)、そこで出会う入管職員の皆さんも、これから羽ばたいていくであろう新しく国家公務員になられたばかりの研修生の若者たちも、ごくごく普通の優し(そう)な方々ばかりです。とてもそんなひどいことが行われているとは思えません。
当然です。別に暴力的で人間的に問題のある人達が権力を笠に着てやりたい放題やっているわけではなく、彼ら彼女らにとっては、あくまで仕事なんです。家には温かい奥さんや旦那さん、かわいい子どもがいる普通の家庭の優しいパパやママだと思います。
この構造って、アウシュヴィッツ強制収容所同様、現代でも充分に起こりうる日常の風景。
私は今回のこの文章で何も牛久入管を批判や要求をしたいわけではありません。そんな批判できるほど牛久と関わっていないし、そうしたことは例えば牛久であれば牛久の会の方などが積極的に活動をされています。
私がここで挙げたいのは、この入管で人知れず行われていること、というのは、アウシュヴィッツ強制収容所でナチスが行ったことと同じようなもので、そんな普通考えたらありえないようなことでも、今この平和国家を自称している日本でもごくごく自然に普通に行われてしまうシステムは簡単に出来てしまう、ということです。
アウシュビッツのドイツ人も残酷な人間だった訳ではなく、普通のお父さんだった。
と書くと誤解を生みそうですが、アウシュヴィッツ強制収容所で働いていたドイツ人が残虐で酷い人たちだったと思いますか?あの人達も入管職員と同じように、近くに家があって、普通に朝「行ってくるよ、ハニー」と朝のキスをして出かけて行って、カワイイ娘がいて、日中は普通に仕事としてアウシュヴィッツで働いて帰ってくる人たちだったわけです。
もちろん中には精神を病んでしまう人もいるでしょうが、大半の人はそうした苦痛を感じないように、また仕事だから、ということで一部は感情を殺しながらも、普通の会社員と同じように働ける仕組み(システム)が出来上がっていたのです。これ、別に入管の職員に限らず、私たちだって同じですよね。つまり私たちだってもし職場が入管なら同じことしてるし、アウシュビッツだったとしても、もしかしたらしていたかもしれないんですよ。
この辺りの詳しいことはアウシュヴィッツ初の外国人ガイド・中谷剛さんの本にも詳しく書かれていますし、映画などでも出てきますよね。
一番の問題は、無関心さが結局は入管で働く人たちと収容者を苦しめているということ。
無関心って、怖いです。何が怖いか。ここでは嫌らしい話をしますが、銭の問題があります。国民が無関心、ということは、予算もおりないんです。事業仕分けでもされれば、ますます管内環境になんてお金おりません。なにせ日本には難民なんていないことになってるんですから(僅かに年に十数人程度難民認定されますが)。
かといって、不法滞在の外国人というイメージだけで、恐らく国民の大半は「我々の貴重な税金」を使うことに反発するでしょう。そもそも難民なんて見たことも聞いたこともない人たちが大半ですから、悪い奴ら程度にしか思ってない、日本に勝手に入ってきて不法に就労するわ犯罪を犯す奴ら程度にしか考えていない方も多いと思います。
結局、冒頭のイラストレーターの難民イラストだって、そんな日本人の深層心理を見事に表しているからあれだけ反発を食らうんです。それを外に向けて発信しようとするから、突然みなさん良識派になっちゃうんです。
元々日本に不法滞在する外国人、と一括りにしていますが、これすら様々な事情や理由が存在します。それらを一緒くたに犯罪者と決めつけて、とりあえず自分たちの目に見えない茨城県牛久の奥の方の施設に閉じ込めて見ないふりをする。だから当然無関心だし、無関心である以上、何が起こっても知らないし、理解もないからお金も下りない。お金が下りなければ医療環境も整えられなければ食事の問題も管内の環境も改善はできません。
牛久市の入国者収容所に限らず、大阪府茨木市、長崎県大村市にある収容所でも、同じようにたった一人の医師にすべてがゆだねられている。医務室で症状を訴えるのだが、ほとんどの場合問診だけだという。聴診器をあててもらった経験のある収容者に出会ったためしがない。話を聞くだけで、薬が処方される。医師の知識経験で判断できない場合、医学書を取り出し、その記述を参考に、「では、この薬を飲みなさい」と渡される。
無関心さが結局は入管で働く人たちと収容者を苦しめているんですね。
まずは「壁の涙」から。その後は、是非一度飯食いに牛久まで大仏見がてら訪れて見てください。
こんなこと書くと、そんな人間が大挙して押しかけたら牛久入管が機能しなくなる、なんて批判が出そうですが、大丈夫です。誰も来ません。日本人はその程度では動きませんから、全く問題ありません。
けれど、本くらいならせめて興味本位でも良いので読んでみよう、という気になりませんか?
「牛久って知ってる?」と訊かれて「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺によって造られた、ブロンズ立像としては世界最大の大仏があるところでしょ」なんて言わずに「入管のあるところだよね」と話を広げられるようになります。
その上で、もし牛久入管も含め収容所の問題について興味を持たれたら、例えば先ほど挙げた牛久入管収容所問題を考える会(牛久の会)のサイトなどを眺めつつ、コンタクトを取ってみても良いかもしれません。
毎年卒論の時期になると大学生がそれなりにこのテーマについて卒論で書こうと思って訪れている姿を目にしますが、たまたまこの文章を読んだあなたとも、いつか牛久入管でお会いすることがあったら嬉しいなぁ、と密かに思っています。