ブログを何年も続けていますと、またこうした「靴のお手入れにクリームやクリーナーは不要」とか「ブラシだけで十分」とか「私はChromeOSのこんなところが好き」といったことを発信していると、お問い合わせフォームから様々な意見を頂きます。その中で気になっていることを今日は触れてみたいと思います。それが「考え方は人それぞれ」です。
考え方は人それぞれではなく、唯一絶対の正解がある、と思っている方や、自分の考え方以外は間違ってる、認めない、不愉快だ、と思われる方は、ここから先は私の考え方が続きますので、読まない方が良いと思います。
私は「人それぞれ」という言葉は嫌いですが、勿論「考え方は人それぞれ」だと思っています。
私が何かこのブログで考えを発信すると、時々頂くのが「考え方は人それぞれです。」というご意見です。例えば、私が靴クリーナーは一般の方には不要です、と書くと、「いや、クリーナーを使うか使わないかは人それぞれであって、他人がとやかく言うことではない」「不要かどうかは人それぞれだから、個人の考えを押し付けるな」・・この方、何しに私のブログを訪れたのでしょうか。
この方にとっては私の「クリーナーは不要」という絡みで書いた文章の何処かが気に障ったのだと思います。私自身、少し人を茶化すような書き方をすることもあるので、その点は申し訳ないと思うのですが、それと「人それぞれ」の話は別です。少し冷静になって考えて欲しいのです。
この方は「考え方は人それぞれだから押し付けるな」というその人自身の考え方を私に押し付けている訳ですよね?
また、多様な考え方がある、というのであれば、何故私の考え方もその中に入れていただけないのでしょうか。
日本に限らず、世の中これだけ多くの人が生きている以上、人それぞれは前提です。
だから例えば少し大きな話になりますが、海外との外交政策一つ取ってもこれだけ難航するのだと思っています。けれど、外交において大切なことは100対0で勝つことではなく、また0対100で相手の意見を全面的に認めることでもありません。かといって「考え方は人それぞれだ」で終わらせて全く不干渉で済ませることでもありません。そのバランスが難しいから、各地で紛争や外交問題が発生しているのだと思います。
考え方は人それぞれに、地域、国それぞれに違う、ということを分かった上で、(それを前提として)どうにか相手と上手くやっていくための落としどころはないのか、を話し合うのが外交なのではないか、と私は思っています。
それは個人同士でも同じだと思っています。けれど、特にインターネットにおいては「人それぞれだろ」という意見は単に話の腰を折るか茶化す時に使われる、何の発展もない言葉として使われてしまうことが多いように感じています。
ただ、もちろんそれでも最低限のルールは必要だと思っています。誰もが好き勝手に自分の意見だけを主張して、相手の話に耳を貸さないのであれば、それは交流でも何でもありません。単なる迷惑であるだけでなく、場合によっては他人の権利を侵害することにも繋がります。人それぞれって、言葉で言うほど簡単ではないと思うのです。
人それぞれであることを前提として、ではどうするのか、そこに進まないで、相手が自分の意見と違った途端に「人それぞれなんだから口出しするな」「人それぞれだろ」というのは、ただ「自分と同じ意見しか聞きたくない」と耳を塞いでいるのと同じですよね?
「意見には個人差があります」「この文章は一個人の意見です」が私が苦手な理由。
某国営放送のバラエティ番組でもよく使われる「意見には個人差があります」。あれは某国営放送だから一つのジョークとして分かるのですが、私はこれらの前置きがとても苦手です。この言葉を盾に、相手の気に入っているものをバカにしたり、攻撃したり、批判する人も多いからです。でも「何故そんな嫌なこと(酷いこと)を言うのですか?」と反論しても、平然というのでしょうね。「いえいえ、意見には個人差がありますから」「これはあくまで私個人の意見に過ぎませんから」。この言葉を使えば、何を言っても許されるのでしょうか?
ただ、「考え方は人それぞれだろ」と言ってしまいたくなる背景には、こうした「個人差」を盾に相手の考えを認めないだけでなく、相手のことを尊重出来ない言いっぱなしの無責任な主張が目立ってきたからなのかな、という気もします。それでしたら、思わず「考え方は人それぞれだろ」と言いたくなる気持ちも分かります。
もちろん表現には気を付けます。けれど、「人それぞれですから」と言い訳する気もありません。
何故なら、こうした個人ブログで何かを書く以上、それは既に私自身の意見であることを否定出来ないからです。何故前置きが必要なのでしょうか。読まれる人の意見と違う可能性も十分にありますが、書かれていることは「~のように世間では言われて(考えられて)いるようです」といった、批判されること、叩かれることを未然に防ごうと曖昧にしている文章ではないからです。私が書きました。ですから、誰が何と言おうと、私は一回その考え方を発信してしまっているんです。世に出してしまっているんです。その事で誰かを不本意にも傷つけてしまったのであれば、それは申し訳ないと思っていますし、状況によってはお詫びもしなければならないと思っています。
そこで「いえ、考え方は人それぞれですから」と誤魔化す方が、余程ズルくて責任逃れだと思いませんか。
私は自分のブログだから何を書いても良いなどと思ったことはありません。毎回書く度に、また折に触れて読み返しますが、ちょっとした表現の仕方にいつまでも悩んだり、返ってきた感想にいつまでも凹むことも多々あります。
私は革靴が好きですが、革靴に興味のない人を叩きたいわけではありません。
私は腕時計が好きですが、腕時計に興味のない人をバカにしたいわけではありません。
私はChromebookが好きですが、別にWindowsもMacもそれぞれに素晴らしいものだと思っています。
この文章だって、その人たちの好きな「人それぞれ」の一つであり、個人の意見です。
私は私のブログでこう思っている、こう考えている、と言うことに関しては、曖昧にせず、きちんと考えを伝えたいと思っています。その際にはなるべく、だからといって読まれる人の考え方を全否定したり、間違っている、というつもりもありません。
とはいえ、時として、不快に思われる方もいるでしょう。何かの表現が不本意にも誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれません。私はもちろんそれは望んでいません。けれど、気付いていない場合も申し訳ないのですが、あると思います。
そういう時には遠慮なくご指摘ください。もちろん頂いた意見に対して全面的に賛成して180度意見を変えます、ということにはなりません。ただ、納得出来る部分や、軽率だった部分は訂正したいと思いますし、参考にしたいと思っています。
だから、私のブログに限らず、他人の意見に対して「考え方は人それぞれだろ」と思われた時には、是非ふと数秒で構わないので、立ち止まって考えてみて欲しいのです。「この人の考え方は人それぞれには入らないのか。」「私は人それぞれと言いながら自分の考え方を押し付けていないか。」
もちろん、それでも「人それぞれだろ」と言うのは勝手です。どんな考え方も人それぞれです。
ただ、そこまで「人それぞれ」と言いたいのであれば、是非、相手の意見も含めて考え方は人それぞれだと言うことに思い至って欲しいなあ、と思っています。
そう書いている、この文章だって、その人たちの言う「人それぞれ」なんですから。
(もちろん「私はこう思うのですか」という意見や「ここは○○の間違いではありませんか?」といったご指摘は大歓迎です。)