[かぶ] Chromebookは「仮の入れ物」。中には何かが入っているようで入っていない、そんな不思議な感覚が私を惹きつけています。

*2023年(令和5年)10月1日からステルスマーケティングが景品表示法違反となる、所謂「ステマ規制」が施行されました。当ブログの方針についてはこのサイトについてをご参照ください。

*当ブログではGoogle Adsense、Amazonアソシエイト等アフィリエイト広告を利用して収益を得ています。収益はこのブログの運営維持のために充てさせて頂きます。

[かぶ] Chromebookは「仮の入れ物」。中には何かが入っているようで入っていない、そんな不思議な感覚が私を惹きつけています。

シェアする

また変なスピリチュアル系の話になるのか、と警戒された方もいるかもしれませんが、この感覚、私は2年前に初めてChromebookを使い始めて5日目に書いた文章でも同じようなことを書いています。

Chromebookを使い始めて5日目。どうやら今の私の用途とスタイルにはピッタリの、絶妙な存在のようです。本当に素晴らしい。もう聞き飽きましたか?ごめんなさい。でも、もう何度でも書いてしまいます。 ...

このChromebook、散々色々文章を打って、アプリも入れて、環境も自分に合うようにカスタマイズしました。この5日間。けれど、多少の違いはありますが、簡単に言えば、これらの設定やファイル、作った文章から加工した画像。

何一つこのC720というコンピュータの中には入っていないんです。

全てクラウドに保管されている。私のGoogleのアカウントと紐付けされて。

いくらファイルを作成しようが、どれだけ画像やアプリをダウンロードしてこようが、どれだけ長い期間使っていようが、

この中には何も入っていないんです。

いつまで経っても中身は全く変わりません。いくら使おうが、いつも変わらないんです。身軽なんです。

正確に言えば、Chromebookの内部ストレージにはシステム部分含め、一時的な作業ファイルその他諸々記録されていますし、また意識して保存しておこうと思えば保存することは可能です。けれど、基本的にはクラウド上のGoogleドライブに記録されています。

私のThinkPad 13 Chromebookを「ファイル」で開いたところ。私は外部ストレージとして32GBのSDメモリを付けていますが、付けなければ保存は内部ストレージの「ダウンロード」か「Googleドライブ」内になります。

クラウドストレージサービスには、Microsoftの提供するOneドライブ、Appleの提供するiCloudはじめ、定番のDropboxやこのChromebookでも使われているGoogleのGoogleドライブなど幅広く、またChromeOSに限らずスマホからWindows、MacBookまで相互に同期させながら使うことが出来ます。けれど、私にとって、これほどクラウドストレージ内のファイルがPCの内部ストレージと同じ感覚で意識せずに使えるものはほとんどありません。

これ、むしろ従来型のファイラーなどを使ってきた方にとっては頭のなかで構造が理解できる分、そこまで自然さは感じないかもしれませんが、それ程PC自体の知識はない(PC自体は昔から使っているものの)私の妻や、実家の両親にとっては、このファイル管理システムは何も考えなくて良い分、非常に楽だと思います。なぜなら、

ユーザーがファイルにアクセスできる部分はこれだけしかなく、その大半は「Googleドライブ」です。

クラウド上の「Googleドライブ」以外は「ダウンロード(内部ストレージ)」しかないからです。恐らく本人はこのChromebookにファイルを保存しているつもりで使っていると思います。

なぜならクラウドと本体ストレージのどちらにも余計なアクションが必要ないからです。

「ダウンロード」フォルダも「Googleドライブ」内に指定すると、ほぼストレージ自体を意識しない使い方になります。

これはもちろん各社クラウドストレージサービスでも、PC本体内に同期フォルダを作成し、そこのファイルをやり取りすることで(バックグラウンドで)クラウドと知らない間に同期してくれるようにはなっています。

ただ、何かワンアクション間に入っているような、どこかクラウドとの間に一つ小さな扉があって、そこを越えなければならないような、わずかな手間と面倒さがあるんですね。気持ちの上で。

所有という概念が変わっていく。

今手元のChromebookという機械の中で、確かに何かを作り出しているような気がしながら、実際は手元にはない。この不思議な感覚というのは、今までの感覚も大きく変えてくれる気がしています。

私のような少し古くなってきた人間にとっては、実体のあるなしに関わらず、モノというものは所有し、自分の手元で保存、管理しているものでした。家に溢れかえるモノ自体そうですし、また音楽や映像といったデータも、自分の作成している文章も、あくまで自分の端末なりストレージの中で所有し、保存し、その管理を意識して行う必要がありました。(例えば何か起こった時のためのバックアップなど)

けれど、このChromebookには自分で何か保存する、所有する、と感じられる部分が少ないのです。それは表現を変えれば、以前から書いているような「Chromebookは仮の入れ物」ということになるのですが、そうした所有する、という概念自体が変わっていくような気がしています。

いくら使っても中身が重くならない入れ物。それはGoogleアカウントを鍵とした、単なるそこに繋がるためのコネクターのようなもので、中には何かが入っているようで入っていない。その不思議な感覚が、私を惹きつけてやまない魅力なのかもしれません。

ここ最近Chromebookについて続けて書いてきています。このブログでは過去79回(この文章が80回目)色々な形でこの興味深いChromeOSというものについて触れてきていますが、最近は書くたびにあ...

#もちろん厳密なことを言えば、中には色々とデータは入っています。ただ、ユーザーにそれを感じさせない、という意味で「入っているようで入っていない」とここでは表現しました。