私は紳士靴に関しては一貫してストレートチップを推しています。
革靴に興味のない人は、変にその場の気分で分かりもしないデザインものを選んで適当に履こうとせず、ストレートチップだけを履き続ければ良いんです、と。その考えは今も変わりません。
分かりもしないし、そもそも興味すらない分野で感覚と思いつきで色気出そうと(出したつもりになって)するから失敗するんです。それなら例えつまらないと思っても、ストレートチップ一種類を複数足持って回して欲しい、そのほうがスタイルが確立するからです。そして、冠婚葬祭でももちろん使える。スーツで失敗することもなくなる。なにせスタンダードですから。
なぜキャバクラの客引きはつま先が反り上がっているのか。
私の地元は演劇の街だなんだと持て囃されていますが、こと片側の商店街に関してはほぼキャバクラ商店街と化しています。駅から帰ってくる際、妻を駅まで迎えに行く際、何度客引きのお兄さんに声をかけられることか。
で、その度思うんです。なんでこの人たちはそんなに靴が反り返っていて、ボロボロで、みな同じような靴を履いているんだろう?と。靴の仕事なんてしていたものですから、尚更です。
服とは着るものではなく装って、自分が何者なのか発信するためのもの。
私、もともとストチ(ストレートチップ)好きですし、そういう目から見てしまうとつい気になるんですよ。けれど、私が20代のはじめにスーツスタイルに興味を持つきっかけになった落合正勝さんの著書を久しぶりに眺めていて、当時は気にも留めなかった部分が目に止まりました。
日本の男たちは、服を着てはいるが装っていない。装うとは、服を整えることで、単に服を着ることを意味しない。整えなければならない理由は、自分が何者なのか、社会に向けてつねに情報を発信する必要があるからだ。日本の男たちはそれが不得手なのだ。
日本は変な形で職業平等意識と自由をいろいろと履き違えて解釈しているところがあって、誰が何着ても個人の自由だ、それこそ個性だと持て囃されますが、改めて個性というものを考えさせられる文章でもあります。
キャバクラの客引きは客引きスタイルでないとお客さんは安心しないんです。
他人から「ひと目でニューヨークから来た弁護士」と見破られる服装とは、逆説的には、「ひと目で、自分の職業を分からしめる服装」のことだ。西洋人は、伝統的に(自分の)社会的地位を服装に込める方法を知っているのだ。日本の男たちに、もっとも欠けている点である。弁護士の服装、政治家の服装、企業家の服装、接客業の服装は自ずと異なるのだ。政治家の服装が広告代理店の営業マンの服装と同じでは、服を整える意味は消失する。
「キャバクラいかがっすか〜」「いい娘いますよ〜」って客引きのお兄さんが、クラシックスタイルに身を包み、靴もしっかり磨かれた風格あるストレートチップだったら、キャバクラ行きたいお客さんは戸惑ってしまいます。
あくまでキャバクラに行く時には、ちょっとホストの下っ端っぽい、少しチャラさも含まれたうえで、でも服は派手なのに靴まで目が行き届いていないいい加減さにホッとするんです。
あ、キャバクラ差別しているわけではなく、キャバクラに何を求めているのか、という話です。
芸能人がたまにスーツ着ても、何故か妙にホストっぽいよね。
あれも、テレビで見るたびに、スタイリストさんはそもそもスーツ着ない人なんじゃないか、というくらいホストチックな風格漂うスーツスタイルが多いですが、あれもよく考えたら、ホストチックな印象でなければいけないんです。だって芸能人ですから。
あの人たちが颯爽と革靴履きこなしていたら、不安でしょ。何となく収まり悪いと思います。だって、そういう職業ではないんですから。
以前、時計店で働いていたとき、母親からは黒服の集団と言われました。
というよりも、母はそう感じていたのでお店に入りづらかった、と最近になって聞かされました。私も今思うとそう感じます。確かに正統なスーツスタイルではありません。
ちょっとバブリーで、けれど一応スーツはきちんと着てはいるけれど、そもそも一般の社会人そんな高いスーツ着ないし、みたいな服装でした。これも3,000万超えの腕時計も扱う時計店なら、一般的なくたびれたサラリーマンスタイルの店員さんだったら、高額の時計を買おうという夢見た気分や特別感が一気に失せてしまいます。
スーツも革靴も没個性だと言われますが、充分すぎるほど個性出てます。
ただ、それは本人の個性ではなく、その職業の個性ですが。もうその服装見ただけで、どの程度の収入レベルで、どういった仕事で、どの程度の教育を受けているのかまでわかるような。怖いですよ、服って。人間外見じゃなくて中身なんて綺麗事言ってる暇があったらそんな強烈に個性が出る外見が何であってもそれ以上に表面に浮き出てくるような中身を磨いてください。それこそが個性です。
良い意味ではなく悪い意味で外見で判断されている人は、そもそも中身見るまでもなく既にダメなんです。だって外見に負けてるわけですよね?
ということで、私はストチ好きですが、改めます。万人には薦めません。
いかにも靴に興味なさそうで、仕事も大したことなさそうで、そもそも仕事先もそういう感じで、まして「男は外見ではなくて中身だ」なんて自信満々に言っちゃうような同僚や上司がたくさんいるような職場では、ちゃんとしょぼい外見にしましょう。
そんな中で颯爽と着こなしてしまうと、浮きます。そして、その浮いた印象の中で今まで通りの取引先と仕事をするのは大変に困難です。たいてい皆さん、もっとも親しい周りの同僚や上司5人くらいの服装や靴とセンス似てきますから。それがその仕事のユニフォームです。
取引先もその服装だから安心して今までも今も仕事をお願いできるんです。お付き合いが出来るんです。
イクメンパパがストチ履いて子供連れてたら、なんか違うでしょ。
イクメンパパにはイクメンパパのスタイルがあるから、街歩いていて、周りも、あ、あの人イクメンだ、って思ってくれて、助けてくれるんです。あれ、スーツ着てピカピカの革靴履いてたら思うでしょ。「子供と服とどっちが大事なんだ」と。
それが服装が持つ、職業や役割としての個性だと思います。警察官や軍の兵士が持つイメージも似たようなものですね。安心感と不安感。それは国によって、やましいことがあるかないかによって変わってきますが。
就職活動で皆スーツなことが時代錯誤だ、没個性だなんて言いますけど、余計なお世話です。それより、せっかく皆さん外見では没個性で同じスタートラインに立たせてくれてるんですから、その没個性の服装にしても隠しきれない、にじみ出てきてしまうあなたらしさで勝負してください。
服装を人と違うものにしないと個性が出せない人なんて、そもそも服脱いだら何も個性なんてありません。
ただ、お手入れだけはしましょうね。それは人柄です。
自分の着ているもの、使っているもの、履いているものに無頓着なのは個性ではありませんから。パンツ洗わないのを個性だと言われても困るでしょ。
どんな仕事でも、例えハードな現場でも、いや、だからこそ、傷は多く入っても、放置ではなくて命を預ける道具はしっかり手入れはするはずです。それと同じ。革靴が戦闘靴だったり、自分の職業を表すものであるならば、もしそこで差が出るとしたら高いか安いかではなく、ちゃんとお手入れしているかどうかです。
あなたの服装は、靴は、あなたの仕事や行き方を見事に表しています。職業としての個性と自分自身の個性を履き違えないように。そして、きちんと「装うことが出来る」というのも、立派にその人の生き方や人柄を表しているということを忘れずにいたいものです。