あなたの靴はいいです。好きなもの選んで下さい。大人のあなたにまで強制はしません。もう手遅れな人もいるかもしれませんし。けれど、もしあなたが今何かしら足や腰、背中や頸といったどこかに歪みや辛さを感じていて、外反母趾など色々抱えているのであれば、今のままなら当然のように大切なお子さんも同じ障害を抱えます。将来。必ず。何故なら、
あなたが教えられないからです。
だから、あなたの靴は適当に選んでくれて構いません。けれど、お子さんが本当に可愛いと思うのであれば、靴だけはあなたが真剣に考えてあげて下さい。
今回は出だしから結構真面目な話です。
2005年5月22日に仙台育英高校の生徒たちに起きた悲劇的な交通事故。
突然重い話ですが、ちょうど10年前の事故です。
交通事故:仙台育英高の生徒3人死亡、22人重軽傷
22日午前4時15分ごろ、宮城県多賀城市八幡1の国道45号交差点で、塩釜市内の男性会社員(34)の運転する乗用車が一時停止していたところ、右側後方から信号無視して走って来た多賀城市山王、会社員、佐藤光容疑者(26)のレジャー用多目的車(RV)が衝突した。2台は横断歩道を渡っていた仙台育英高校(仙台市宮城野区など、加藤雄彦校長、生徒数2997人)の1年生の列に突っ込み、生徒3人が頭などを強く打ち間もなく死亡。4人が重傷、RVの同乗者と乗用車の男性を含む18人が軽傷を負った。県警塩釜署は佐藤容疑者を業務上過失致死容疑で現行犯逮捕。佐藤容疑者は酒気帯び運転と居眠りを認めており、危険運転致死などの容疑も視野に調べている。
死亡したのは、仙台市泉区加茂3、細井恵さん(15)▽同県山元町高瀬、斎藤大(はじめ)さん(15)▽同県七ケ浜町汐見台2、三沢明音(あかね)さん(15)。
調べでは、生徒らは1年生568人が参加する同校の恒例行事、ウオークラリーのため午前4時に同校多賀城校舎(多賀城市)を出発。約22.5キロ先の同校松島研修センター(松島町)へ向かう途中だった。
現場は片側2車線の丁字路交差点。教職員計4人が横断歩道の両端で旗を持って誘導し、生徒らは青信号で横断中だった。RVは一瞬のうちに突っ込み、ブレーキ痕はなかった。
佐藤容疑者は「仙台市内で焼酎を飲んだ。居眠りしていた」などと供述。呼気1リットル当たり0.3ミリグラムのアルコールが検出された。【赤間清広】[毎日新聞 2005年5月22日 6時53分]
関係者にとっては今にとっても辛い話で、それをぶり返すようで申し訳ないのですが、この事故にはもう一面の姿があったそうです。
事故直後のニュース映像には、おびただしい数の運動靴が、国道上に散乱した状態で残されていた。意識があり元気な者なら、事故後にわざわざ靴を脱ぐとは考えにくく、逃げまどう際に靴が脱げてしまい、置き去りにされたと考えるのが妥当だろう
事故現場に靴が散乱している姿、違和感を感じませんか?
あまりに引用が長かったので、サラリと読み流してしまった方もいらっしゃると思うのですが、普通に読まれた方でも気が付かなかったかもしれません。ニュース映像や写真を眺めていて、靴が散乱している光景があっても、事件や事故の悲惨さに隠れてしまうこともありますし、なぜ靴が脱げているのか、不思議に思うことはあまりないかもしれません。
ここで高校生たちを責める気は全くありませんが、彼らは「ウオークラリーのため午前4時に同校多賀城校舎(多賀城市)を出発。約22.5キロ先の同校松島研修センター(松島町)へ向かう途中」だったそうです。22.5キロもの長距離を歩くにも関わらず、簡単に靴が脱げてしまうような履き方をしていた、ということです。
靴紐を締め直さずに靴を脱ぎ履きする習慣が日本ではごく当たり前の光景。
靴紐をいちいち締めなおさなくてもそのままスポッと足を突っ込み、つま先をトントンして履く。脱ぎ履きの多い日本の文化、草履や下駄の時代が長く、一般市民が靴を履くようになったのが戦後だと言われていることを考えると、仕方のないことかもしれません。
私たちは靴の正しい履き方を知らないのです。教わることもない。何故なら靴なんて、足さえ突っ込めば履ける外履きだからです。
[書籍] なぜ私たちは義務教育を9年も受けながら、身体を傷めないで生きていくための知恵やコツを教わらないのか。
靴の歴史が長いドイツでは小さい頃から徹底的に靴の履き方、紐の結び方を教える。
ドイツには国家資格としてのシューマイスター制度があり、国民の足の健康を守る靴の専門家として古くから市民にも親しまれてい
るそうです。
親も子どもの靴を選ぶときには、子どもに適当に気に入ったデザインや色の靴をさっさと選ばせるのではなく、しっかりと計測し足の状態を診てもらった上で、それらのデータと子どもの足の大きさや形を基に時には1時間以上もかけて真剣に選ぶそうです。
もちろん家庭でも靴の履き方から紐の結び方まで小さい頃から徹底的に教え、小学校に入学するまでに靴紐が一人で履けるようにしておく慣習もあり、それらを学習するための絵本まで市販されているそうです。
日本ではどうでしょう?
日本とドイツでは環境が違うとかそういう突っ込みはしないでくださいね。シューマイスターが無理でも、靴をちゃんと選ぶ、紐の結び方を教える、履き方を教える、ちゃんとしたサイズを選ぶ。これって日本だから不要、という国や文化の問題ではないですよね?
私が靴屋で働いていた頃も、子どもの靴は親が買いに来ていましたが、しっかり時間をかける親子は稀でした。そして、よく訊かれたのが「成長期ですぐ大きくなるから、少し大きめのほうが良いですよね」ということ。その大きくなった時には、今それを見越して買った大きめの靴はとっくにボロボロになって履けなくなっているか、むしろ履かないでほしいくらいにバランスが崩れてしまっているというのに。
「履きやすいは脱げやすい。」常に足に負担がかかっているんです。
よく「履きやすい靴ない?」と訊かれました。もちろん脱ぎ履きの多いお仕事や生活であれば、その言葉の通り「履くときに面倒でない」靴ということになるのですが、この「履きやすい」という言葉は、気軽に使っていますが、実は本人の中では「歩きやすい」とイコールの時があります。「歩きやすい」靴と言われる方はあまりいません。大抵「履きやすい」と口にします。本人がどちらの意味で言っているのかは、会話の中で判断するしかありません。
「履きやすい」ということは「簡単に脱げる」「脱げやすい」ということでもあるんです。けれど、あまりその辺のことについては皆さん考えることがない。子どもに訊くときも、「履きやすい?」と訊くくらいですから。
恐らくお子さんは、靴のサイズは知っていても、大人になっても恐らく自分の足のサイズは知ることはないでしょう。
これは、就活用に革靴を買いに来た大学生が皆自分の足のサイズの一回りも二回りも間違って認識していること。そして、そこまでの20年余、そうしたオーバーサイズでの履き方に全く違和感を感じなくなってしまっているのです。
腰痛、足のむくみ、肩こりから頸や頭の痛みまで、全ては繋がっている。
全てが靴が原因だとは言いません。今までの生活が原因です。けれど、その生活というのには、今まで全く適当に選んできた靴も大きな原因になっているんです。そして、その感覚は、余程手遅れに近くならないと顧みられることはないでしょう。
10年前の仙台育英高の生徒に起こった悲劇。もちろん「もしも」はありませんし、そんな憶測は却って失礼かもしれません。後からなら幾らでも言うことは出来るんです。けれど、もし22.5キロのウオークラリーが恒例なのであれば、そうした機会に靴の履き方や歩き方、紐の結び方までしっかり身につけることが恒例になっていたら。
子どもの靴は冗談抜きであなたの靴以上に真剣に選んであげて下さい。
もちろんそれには日本ではプロが少なく、まだまだ知識も経験も少ない店員ばかりかもしれません。メーカーによってサイズの表記も違えば、シューフィッターも国家資格ではなく、それぞれのメーカー認定の独自のシューフィッターの場合もたくさんあります。
また、歩き方や生活習慣も人それぞれであれば、ドイツのようにそれを地域に安心して頼れるような相談医のような人にはなかなか出会えないかもしれません。
けれど、最低限の靴の履き方。紐の大切さ。せめてオーバーサイズの靴を選ばない。靴は飾りじゃない。その程度のことなら、今日からでもあなたでも子どもに教えてあげることは出来ると思うんです。子どもは確かに嫌がるかもしれません。けれど、嫌がるからやらせない、教えない、というにはあまりにその後の影響が大きすぎる問題だと思います。
思春期になってから、反抗期になってから突然上から靴の履き方を教えようとしても厳しいかもしれません。その場合は、まずは親である自分自身がジャストサイズをカッコよく履く姿を見せるしかないかもしれませんね。靴をボロボロの粗末に扱う姿を見せるのではなく。
そして、まだ自分で選べない小さいお子さんであれば、是非靴選びをもっと子どもにとっても楽しい時間にしてあげて下さい。
そのためには、もちろん靴を販売する側も、今まで以上に真剣にそうした環境を作り上げる必要がありますが。