これは・・1月にして私の今年の最高の一冊になってしまうかもしれません。静かに興奮しています。
決して新作ではなく、米原万里さんの第13回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品にして、唯一の長編小説です。
まだ読み始めたばかりなのですが、落ち着きません。続きが気になってしまう。早く読み進めていきたい気持ちでいっぱいです。
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は私の昨年のお気に入りでしたが。
米原万里さんは恥ずかしながら私は昨年知りまして、まだ「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」しか読んでおりません。これもたまたまKindle版が安くなっていて、評価が高いようなので読んでみるか、と買ってみたら面白かった。
これについてはその頃一度書いていますが、今回「オリガ・モリソヴナの反語法」を読みながら、この本の話と重ね合わせている自分がいます。
[0312-201408] 妻がチェルノブイリに関わりながら、ほとんど旧ソ連の国々について知らなかった私が最初に読み始めた本を挙げてみる。
読み終えたらもう一度「嘘つきアーニャ」は読み返してみようと思います。というか、この二冊は折に触れて読み返したくなる作品だと思います。
チェコ、東欧、共産圏。旧ソ連。ほとんど知らない冷戦時代。
妻がチェルノブイリ関連のNGOにいる関係で、付かず離れずの常に心の何処かに引っかかりながらも、深く入らなかった世界。それが旧ソ連の国々、共産圏、社会主義圏の世界です。
私のようにまだ30代中盤の人間は、ソ連崩壊はまだ学生時代、小学生から中学生の頃です。当時の日本における状況も含めて、基本的に小説の世界でしか触れることの出来ないくらい昭和は遠くなりにけりです。
今これだけ世界が近く感じられても、実際になかなか世界に触れる、世界を動き回るような生活をしている人はまだまだ少数です。
かえって気軽に情報が入ってしまう分、海外に対する憧れというのは、想いというのは薄くなってしまっているのではないか、と感じることがあります。
こうした小説に触れることで、想像がどんどん膨らむとともに、自分の知らない昭和の日本というものを疑似体験しているような部分もあると思います。
閉ざされた空間、閉ざされた情報というのは、かえって人の気持ちを刺激しやすい、想像を膨らませやすいのかもしれませんね。
それは旧共産圏だけでなく、先日たまたま見たバチカンの内部の映像に関しても同じことが言えます。
こうして振り返ると、私は昭和に、20世紀に何か憧れを抱いているのかもしれない。
最近思うんです。SEIKO 5、CASIO STANDARD DIGITALはじめ、どうも昭和であったり、当時の世界全般に私は何か強い憧れを持っているのではないか、と。
昔は良かった以前に、その昔を知りませんから、生まれてきていませんから、という状態ですが。
例えば今のコンピュータを取り巻く状況よりも、黎明期のストーリーに興味を持ったり。SFに関しても、その頃にイメージされた宇宙であったり未来であったり、にワクワクしたり。
例えば「星を継ぐもの」なんて、当時から見た宇宙や未来を思う存分に書いている訳ですよね。
[0413-201412] ジェイムズ・P・ホーガン「星を継ぐもの」がKindle版で発売されたので、大変に嬉しくて全米が泣いた。
実際もし今その時代に飛ばされたら、私は一日と保たない気がしますが。
遠すぎず、けれど今目の前にあるほど近くはない、そんな少し前の世の中の出来事であったり、生活であったり。そんなものに時々逃避したくなる自分がいるようです。
ということで、また続きに戻りたいと思います。