「創価学会」「公明党」。本当にごめんなさい。今まで考えようともせず、単純に宗教と思っただけで敬遠していました。
こればかりは素直にお詫びするしかない。正直、創価学会って今までイメージ良くなかったんです。
選挙になると学会員の熱心な集票活動が目に付きましたし、それを特に考えもせず、毛嫌いしていたんですね。何となく鬱陶しい、というだけで。
日本ではオウム真理教の事件の頃から、宗教団体というと怪しい集団、というイメージ、先入観がついて回るようになってしまいました。
分かったつもりでいて、分かろうともしなかった。よくあるパターンです。一番タチが悪いかもしれない。
今回たまたま第九を聴きにNHKホールに向かう前に渋谷の丸善ジュンク堂でここ最近またハマり始めている新書を何冊か買おうと思っていて見つけました。
[0437-201412] やっぱり新書が面白い。折角なので、より楽しく読めるように、革の新書カバーを探してみた。
正直、まだ読み終えていません。ただ、読み終える前にとりあえず書いておきたかったので、第一印象として。
まずはあとがきから。
創価学会とこの宗教団体を支持母体とする公明党が、日本の平和を維持する上で重要な役割を果たしているにもかかわらず、そのことがなかなか理解されない。
創価学会に反感を覚える人、宗教に無関心な人、熱心な創価学会員、両親が創価学会員である関係で自分も学会員になっているが活動には熱心でない人、恋人が創価学会員であるために両親から交際をやめろと言われている人などを頭に浮かべながらこの本を書いた。
創価学会に対する好き嫌いといった感情をひとまず脇に置いて、現実に存在する創価学会を等身大で見て欲しいのである。
もう、「創価」と聞いた時点で思考停止してしまう内の一人です。分かった気になって、「創価だから」を口癖にしてしまう。その言葉で思考を終了してしまう、それくらい、別に嫌いではないのだけれど、あまり関わりなくない、嫌な存在だったんでしょうね。
全ては「知らないこと」からくる、漠然とした根拠のない不安と膨れあがったイメージから来る先入観が原因な訳ですが、皆さんそれぞれ創価学会や公明党に限らず何かしらであると思うのです。
閣議決定を骨抜きにしたのは創価学会の平和主義。
前半では、先日採択された「集団的自衛権」について、自公連立政権の中で公明党が賛成したことの及ぼした影響について見ています。
閣議決定に賛成したために、結果として「平和の党の看板に傷がついた」「平和主義の看板を下ろした」と批判された公明党。
しかしその実、
このように、集団的自衛権を行使しようにも、あちこちに「縛り」がかかっていて、ここまで手続きが煩雑で使いづらい集団的自衛権は他の国にはないのではないか。
公明党がブレーキ役として与党にいなければ、憲法に制約されない集団的自衛権の行使を容認することが閣議決定されていたと思う。
人間興味のないこと、知らないことは、意識して考えようとしたり、多角的に見ようとしない限り、先入観や一般的なイメージで判断して終わりにしてしまいがちです。私もそう。もう自公連立、という時点で、公明党は単に与党にいたいが為だけに存在しているのではないか、程度にしか考えていませんでしたから。恥ずかしい。
これも一面的な偏った見方かもしれませんが。
これだって佐藤優氏の見方に過ぎない、どうせ創価に金もらってるんだろ、といった意見も出てくるでしょう。こういう話ってそういうことがあるから面倒くさい。特に先入観の入り込みやすい問題、また政治的な問題はそうです。
ただ、思考停止してしまうよりは、もしくは分かった気になって、その実、では創価学会や公明党のことってどの程度、何を知っているの?と訊かれて具体的に答えられないような私のような人種には、一度読んでから判断するくらいの分別があっても良いと思うのです。第一知らなすぎ、知ろうとしなさすぎ。
今のこの世の中で、これだけ強固な支持基盤を持った、ある種意識の高い集団というのは珍しいと思うのです。そして、もしかしたら、そうした集団が日本の中で果たしている役割というのは大きいのかもしれません。あ、もし創価学会の方がご覧になっていたら、素っ頓狂なことを書いていたらごめんなさい。
とりあえず、まだあとがきと第1章を読み終えたところで、今第2章の「歴史的に見た創価学会、公明党、日蓮正宗」に入ったばかりなんです。それでもこれだけガーッと書くことが出てしまうのは、単に私が無知なだけ、という突っ込みは置いておいて、それだけ非常に興味深い世界だということをお伝えしたいと思います。
Kindle版もあって、若干安いので、それがお薦めかな。私のように新書は紙で読みたい人もいると思いますが。