テーブルトークRPG、略してTRPG。私と同じか、その前後、もしくはかなり上の方にとっては大変懐かしい名前かもしれません。
テーブルでトークしてロールをプレイングするゲーム。何人かでひと所に集まって、会話と紙と何種類かのダイス(サイコロ)を手に、ファンタジーの世界であったり、終末的な世界であったりで楽しみます。
基本どんな行動をとっても自由。それを演じられるのなら。そして、それを如何に捌き切り、破綻なく楽しませるかが、ゲームマスターの役割。マスターとプレイヤー次第で幾らでも可能性と楽しみは広がっていくゲームです。
いま、世に出ているたくさんのオンラインゲーム(MORPGなど)も、元を辿れば何十年も前に、そうしたTRPGにハマりにハマった先輩たちが夢見た一つの形かもしれません。そうしたTRPGがあり、それにハマった人たちが、それをパソコンで一人で楽しめないか、とパソコンゲームを開発し、それにハマった一部の人がそれを日本ではファミコンに移植したり、新しいゲームとして作り上げた。それが時を経て、いま、オンラインで、同じ場所にいなくても、出会った人たちと楽しむことが出来るようになった。
素晴らしいことです。私も小学生でTRPGに出会い、高校生でパソコンに出会い、大学に入ってオンラインゲームにハマりました。たくさんの楽しみをくれました。
今もたくさんのそうしたゲームが出来、グラフィックは非常に美しくなり、自由度も増え、いつでも遊べるようになり、幾らでもその世界の中で自由に過ごすことが出来る。もう、小学生の私からしたら、夢のような世界が目の前にある。
けれど、大学一年でDiabloとUltima Onlineにハマりにハマり、明け方までパソコンの前にいる生活を続け、腰椎椎間板ヘルニアになって大学を半年間休学し、その間もでもハマっていた私でも、当時でも、今でも、やはり時折ふと、TRPGの世界に戻りたくなってしまう時があるのです。
それは、想像の入り込む余地が幾らでもあったからか、気心の知れた友人知人と時間や世界を共有出来る喜びからか、それらを全て含めて、昔は良かった的な懐古主義に過ぎないのか。
間もなく40になり、そうした共通の趣味を持った友人知人と時間が合わせにくくなったもどかしさもあるのかもしれません。
けれど、時々、やはり、無性にTRPGが恋しくなってしまう時が、あるのです。