ターゲット層と、テーマが微妙にずれた結果として感じる違和感。
買っておいて言うのもなんですが、正直レジに持って行くのも、外で読むのもちょっと恥ずかしかったタイトル。
「男の一流品」なんて、「一生もの」と同じくらい、既に使い古された言葉だと思っていたのですが、それでも買ってしまったのは松浦弥太郎さんだったから。
一生ものって、一生ものの物(変な表現ですが)だから一生ものなのではなく、自分の日々の生活とともに歩んできて、普段あまり意識することもないのだけれど、どうもそればかり使ってしまっていて、ある時、ふと、あれっ、これって何十年使ってるのかな?と思った時、それは一生ものなんじゃないかな、と思うのです。
一流品、も同じで、雑誌やメディアが盛んに煽りますが、そもそも何をもって一流なのか。
「一流」という言葉に確かに男は弱いです。そして、歳を重ねると、一流品と定義付られたモノが欲しくなる。若いうちはブランド信仰まっしぐらですが、そうじゃない、と言いたくなる歳頃、そして、ある程度お金が稼げるようになった頃、一流と呼ばれるモノが欲しくなるのかもしれません。
そうした意味では、このブルータス、そして「男の一流品」というのはわかりやすい。ただ、よく考えれば、それってカタログ見ながら買うものではないですが。
なぜ「松浦弥太郎」?
松浦弥太郎さん。根強い信仰者や愛読者がいる方です。そのライフスタイルから書かれるエッセイまで。正直に言います。私も好きな作家さんです。
ただね、松浦弥太郎さんに共感する層と、この男の一流品カタログってテーマは合わないと思うのです。どちらかといえば、そういう露骨ないやらしいというか、あからさまな押し出しに疲れた層が、程よい加減でサラッと提示する松浦弥太郎さんの空気に共感するのではないか、と。
そんなこともあり、この特集で最も共感出来たのがこの最初のページの弥太郎さんの文章だった、というのは、皮肉かも。
しかし、そこにある一流をよく見てみると、
はて、本当に自分がそうなりたいのか、その品が欲しいのか、
そういう生き方がしたいのか、と疑問を持った。
いわゆる世の中的な一流に今の僕は感動が出来なかった。
それなら僕は自分が探して見つけた一流を、新しい一流と改めて、
そのために自分の大切な時間を使い、自分が持っているお金を使い、
これからの自分の生き方を考えたいと思った。
一流とは一体なにか、と考えることは、
肩書や地位、品質や値段のことだけではないと気がついた。ー松浦弥太郎
この弥太郎さんの文章を読むと、その後の一流品カタログとどう考えても繋がらない。
そこで思ったのは、弥太郎さんの「日々の100」辺りに共感した編集者が、ブルータスの読者層に合わせた企画にして提案したのかな、と。
良くあるカタログではありますが。
雑誌の一流品や男のうんたらのカタログ特集って、勿論スポンサーの意向が反映されるわけです。それを分かった上で楽しむのですが、今回は弥太郎さんのコメントがそれぞれに付いていながらも、いまいち乗り切れませんでした。
それは単に私が弥太郎さんに対して過度に美化し過ぎているだけかもしれませんが、ちょっと同じモノを取り上げるのでも、ちょっと違ったアプローチがあったのではないか、という気がしてしまうのです。
無理に「一流品」という枠組みに当てはめたものだけを並べたような。多分ここには「日々の100」に出てくるようなモノは除外されてしまうと思います。何故なら、「男の一流品」だからです。
ということで、そんなこと分かっていたにもかかわらず、それでも松浦弥太郎という名前買いをしてしまった私の置きどころのない、やり場のないこのモヤモヤ感がそのまま出てしまった、今回の投稿でした。