今日は恒例の、3週間に一度の散髪の日です。ここ数年、渋谷にある喜多床にお世話になっています。
[0371-201411] 一日二回の入浴と三週間に一度の喜多床が私の貴重な思考の時間。
実家が元々理容院だったこともあり、小さい頃から家で切ってもらっていましたし、身近な存在でした。
大学に入って一人暮らしをするようになり、美容院に一時通いましたが、30を過ぎる頃から理容院に戻りました。
理由は、理容院と美容院の目的の違いにあります。
理容とは容姿を「整える」こと。美容とは容姿を「美しくする」こと。
全国理容生活衛生同業組合連合会によると、
「美容と理容の違いは、男女の違いではなく、法律によって業務範囲が示されていて、理容師法によると、理容とは頭髪の刈り込み、カット、シェービングやそれに付随することなどで容姿を整えること。一方、美容は、化粧、結髪、パーマなどにより容姿を美しくすることです」
と広報担当者。
つまり、カットは本来、理容の仕事なのだった。
年齢とともに、容姿も変わってきます。自分では同じつもりでいても、30を過ぎれば学生から見れば既におじさんの世代です。
徐々に加齢臭も出てきますし(30代はミドル脂臭らしいですが)、例え気をつけていても、やはり30を過ぎれば臭の印象は出てきてしまいます。
[0322-201408] ミドル脂臭に興味を持ったので、ルシードの薬用スカルプデオシャンプーを買ってみた。
勿論臭いだけではなく、容姿全体も、少しずつ変わってきます。そこに清潔感を保つことが難しくなる。
美しくすることよりもまず、身だしなみを整える、という意識のほうが大切になってきます。
歳をとるということ。
勿論歳を取ることは、決して悪いことではなく、経験や、そこまでの生き方が少しずつ刻まれていきます。
より顔や立ち居振る舞いに現れてくる、ということです。
といってもまだまだ30代。諸先輩方から見ればまだまだ若造です。けれど、意識は常に持っておきたい。
人間は外見ではない、中身だ、とこういう時によく言われますが、それは何も外見は汚くても良い、ということではありません。
外見は汚いままでも良い、というのは周りの人に対して不快感を与えても構わない、という中身の表れだと思うのです。
そんな人は、その大切だと言われる中身がしっかりしている、と言えるのでしょうか。
それが、私が盛んに靴のお手入れの大切さをしつこいくらいに書いている理由の一つでもあります。
清潔感を保つというのはなかなか難しい。
それは単にお風呂に入っている、とか、着ている物をちゃんと洗っている、というだけに留まりません。
結局一つ一つの行動や言葉が、気持ち良いこと、清潔感があること、というのは、毎日の生き方そのものに左右されると思うのです。
20代の頃の自分の写真を見てみると、確かに高いモノを身につけていますし、美容院に通ったり、色々とお金をかけたり、と外見は今よりも「美しく」はあるかもしれません。
けれど、今、また20代に戻りたいかと言われれば、ハッキリ嫌です。
今思い出すだけでも恥ずかしいくらいに生意気で、調子に乗っていて、周りに対して失礼をたくさんしてきました。
仕事だって出来ていたとは思いませんし、あくまで周りに若者として見守って頂いていた、というだけだったのです。
もちろん今、30代にある自分も、後で振り返ってみれば、恥ずかしくて思い出すのも嫌になるほど生意気でしょう。
その辺りは幾つになっても変わらないと思います。けれど、常に意識だけはしておきたい。
常に同じ自分であり続けるということ。
今、3週間に1度、理容院に通うのは、私の短い髪では、それ以上間を空けてしまうと、明らかに伸びてきたのが分かるからです。
短ければ短いほど、その状態を保つのが難しくなります。ごまかしが利かなくなるからです。
結果として3週間、というのがギリギリのラインです。その分お金もかかります。人によっては馬鹿らしいと思うかもしれません。
今なら格安で1000円カットもありますし、お金だけ考えたら伸ばしっぱなしというのも手です。
けれど、私は理容院での約90分という時間を、私にとってとても大切な90分と考えています。
いつ見ても同じ私であるということ。それは外見一つとってもなかなか難しいことだな、と思います。
[0389-201412] あの人、いつも同じ格好だね、と言われたい。その時に大切なことは清潔感だと思います。
けれど、これからも自分の中で追い続けたい、大切なイメージの一つです。