毎月1日は散髪の日と決めています。散髪後、そのまま翌月1日で次の予約を取ってしまうのです。
ここ数年は、渋谷にある喜多床さんにお世話になっています。
ヘアーサロン喜多床
私の実家は祖父祖母の代まで床屋でした。そうしたこともあり、家で髪を切ってもらうのが当たり前であり、また、小さい頃はそんな店内で掃き掃除をごくたまに手伝いがてら、近所のお客さんに紛れて漫画を読むのが楽しみの一つでした。
東京に出てきて、二十代の初めの頃は、美容院に通ったりもしつつ、実家に帰った時は祖母に切ってもらっていました。ところが、三十を過ぎて、なんとなく美容院で満たされない自分を感じるようになりました。
美容院は容姿を美しくするところ。理容院は容姿を整えるところ。
30を過ぎ、仕事や環境が変わったこともあり、心境の変化もあったのかもしれません。自分の外見を美しく見せることよりも、自分自身の身だしなみや気持ちを正したい、整えたい、という想いが強くなったのかもしれません。などと言えば聞こえはいいですが、単に元々床屋が性に合っていただけかもしれませんが。
毎月1日と決めたのは、月の初めに気持ちと身だしなみをすっきりさせたい、という気持ちからです。髪を短くしていると、ちょうど20日辺りで髪の伸びが気になり始めるようになります。本当は半月から20日に一度が、常にいつ誰にお会いしても、いつもサッパリした状態で良いのですが、20日おきにすると、ペースが掴みにくくなってしまうので、毎月1回、1日と決めています。
喜多床での二時間弱は贅沢な思考の時間。
もちろん会話を楽しむこともありますが、基本的にはこの時間は考えるための時間にしています。日々過ごしていると、なかなかまとめて考えることに集中出来る時間というものが取りにくくなります。
考えている途中で、つい他のことを思い出して、何かを始めてしまったり、他の用事を済ませてしまったり。けれど、散髪中は身動きは取れません。考える以外は何も出来ない、しなくて良いのです。
落ち着いた時間の流れの中で、髪を切ってもらいながら、髪を洗い、襟や顔を剃ってもらう。そんな贅沢な中で、じっくりと考え事に浸ることが出来るこの時間は、私にとって毎月の無くてはならない時間です。
そして、そうした贅沢が出来るのも、喜多床という古くから続く名店が、そうした雰囲気と空間を作り上げている、そして代々続いていてくれているからなんだと思います。
そうして私は今月も、この素敵な時間を楽しんでいます。