実際に考えたのは今月1日なのですが、当日ひたすらスマホに向かっていて、何しに妻と石巻に来ているのかと切なくなってしまったので、今日改めて考えることにしました。
今回の石巻に関しては、
宮城県石巻市 | Life Style Image
こちらをご覧下さい。
被災地の商店街でお金を落とすことが被災地支援になる。
今回の石巻でも、この南三陸に限らず、日々頑張って生きている方がたくさんいます。いや、頑張って、なんて気安く言うこと自体、おかしいことかもしれませんが。
震災から三年以上経ち、東京にいるとほとんど意識することがなくなってしまう、そんな自分に時々寂しくなりながらも、でも同じようにどこでも誰でも、みんな目の前の生活や人生を精一杯生きているんだろうな、と思います。考えていないわけじゃない。けれど、まずは自分の生活が落ち着かないと、余裕が出ないと、なかなか他人にまで優しさや意識は向けられない。
そんなありきたりのことを思いながらも、さんさん商店街を歩きました。
被災地の商店街でお金を落とすことが被災地支援になる。
この日は平日の15時過ぎ、ということもあったのですが、私たち以外に歩いている人がほとんどいませんでした。休日になると、ツアーバスで観光客が団体で降りることがあるそうです。
被災地に実際に訪れて、現地で買い物をすることが復興支援になる。よく言われます。お金云々だけでなく、その行動自体が、忘れない、ということにも繋がる、と。そして、実際に交流が生まれることで、良い循環が出来ていく。それが復興支援になっていく。
ただ、震災から三年。もう、とも言えますし、まだ、とも言えます。その中で、実際にはどれくらいの人が訪れているのでしょうか。そして、それはここ最近になって、増えているのか、それとも減っているのか。
平日昼間とはいえ、閑散とした商店街と、その後通った南三陸の街を見る中で、そして以前書いた雄勝町の様子を見る中では、徐々に忘れ去られ、また、復興支援のため、という名目で買い続けるには、そろそろキツくなってきていないのかなぁ、と感じてしまいました。
石巻市雄勝町で生本マグロ丼を食べながら、風評被害について考えてみる。
そもそも被災地支援って何だろう。
なんて、まるで若者の主張や悩みみたいですが、そう考えること時々。よく、悩んでる暇があったら、考えてないで行動しろ、と言われますが、考えも悩みもせずひとまず行動に移すことが必ずしも被災地支援に関しては良いこととは限らない。
自分の寝食のことや、足のことを考えず、とりあえず何かしたい!と現地に赴いて困った人になっている場合も多々ありますし、何も考えず、とにかく募金だ!とお金の使われ方、行き着く先を考えずに手当たり次第にお金だけ出しちゃう人。いきなり自分の使い古した古着を捨てる代わりに大量に送りつける人。
良いと思って、善意で行動に移したことが、かえって相手にも、また支援で入っている団体や人にとっても困ったことになることって、今回の震災に限らず、海外の支援でもよくある話。そして、一二年で忘れ去られてしまう。
そんなことを考えていても何も変わらないのかもしれないけれど、こういうことがあるたびに考えてしまうテーマです。
とりあえず、自分と自分の周りのことだけはなるべく準備や対策不足のないように
だから、せめて常日頃から自分と家族や身の回りだけでも、いや、自分のことくらいは、何かあった時に何とかなるようにはしておきたい、と思います。
それは、自分だけ助かる、とかそういうことではなくて、何か起こった時に、何の準備も備えもせず、周りに迷惑をかけてしまうようなことのないように。勿論何をしていても迷惑はかけてしまうし、それが非常時なのだけれど、自分だけは大丈夫、助かる、と思って、備えもしないようなことはないようにしておきたい。
よく海外や山に、軽装や備えなしで行って、たまたま無事帰ってこられただけなのに、⚪︎⚪︎なんて大したことない、とか宣う人がいらっしゃいますが、それはちょっと違うだろ、と。
震災なんて、実際に被災してみないと苦しみも辛さも痛みもわからないと言ってしまえばそれまでだけれど、だからこそ、せめて自分と、自分の身の回りくらいは常に意識出来るようにしておきたい、と考えています。