昨日は妻も仕事が休みでしたので、二人で昼過ぎから部屋の片づけを始めました。といっても、昨日はほぼ妻の参加した勉強会や大学院の頃の紙資料をひたすら裁断して、スキャンして、廃棄する作業でしたが。
我が家で使っているのは、少し前の人気モデルだったS1500です。これでScanSnapと自炊という言葉を知った方も多いのでは。昨日はフル稼働、頑張ってくれました。
何年も放置され、増え続けていた書類
とにかく勉強会や講演会にたくさん出る妻は、紙の資料が多いんです。また、とにかく持って帰ってくる。これでもここ数年でかなり整理はしたのですが、特に大学院の時のレジュメや資料は、捨てられないんです。
また使うから。
それが口癖なのですが、正直床はルンバが身動きとれなくなりそうな状態(持っていませんが、買っても我が家では活躍は無理)。
別に残しておく分には構わないのですが、収まりきらなくなった書類が床に積み上げられ、埃が積もり、掃除も中途半端にしか出来ない状態はどうなんだろう、と思っていたのです。夫婦とも。
20年近くが経っても変わらぬ名著だと思います。分類して整理しようとすること自体がそもそもの間違い、という主張は、特に紙の書類がたまってしまう人には納得出来るのではないでしょうか。
どこに何があるか分からない状態は、活用も出来ない。
今まで参加し、集めてきた資料は、妻の活動を象徴するものであり、貴重なものなのは分かります。けれど、ここまで積もると、恐らく妻にもどこに何があるかすら分からないし、活用しようと思っても、ストレスになってしまっては活かすことすら出来なくなってしまいます。
溜めることがかえって活用を妨げるのであれば、本末転倒です。
そこで、紙のまま残した方が良いものは別としても、他は一気に裁断してスキャンしてしまおう、と。
書類がここまであると、流石に裁断機が欲しくなります。昨日もひたすらカッターで頑張っていたので、細かい切り屑は出るし、それがスキャナーに溜まってスキャンにノイズが出てしまうので、そろそろ真剣に検討しています。指も痺れますしね。
人間シンプルにはなかなか考えられないから。
勿論、すっきり手放してしまえるのが何よりなのでしょうが、人間そうシンプルに考えられないもの。いつか使うかもしれないから。大半は使わない訳ですが、そう思ってしまって、また、埃が積もっていたりすると、億劫で結局どんどん捨てられず残ってしまうんです。
そんな時、間に裁断してスキャンしてデジタルデータとして残す、というクッションを作ってあげることは、かな。有効なのではないかな、と思います。
とともに、何となくそこに物質、物体として、中身も分からなくなったまま積もっていくものは、漠然とした執着というものなのかな、と感じました。
漠然としたものほど、扱いに困るから、どんどん頭と心の中に積もっていってしまうのです。
もう、カッターで裁断する人にとっては欠かせない名脇役。十津川警部にとっての亀井刑事みたいな存在です。素晴らしいです。これがなかったら、昨日の私はありませんでした。まぁ、一日中、裁断とスキャンは私の仕事だっただけですが。
今朝7時まで片づけていた妻。
あれ程、やるやる言いながら何年も溜め続けた妻ですが、昨夜一区切りついてからも、私、もう少しやるから、と言って起きていました。
朝になって布団に入ってきた気がしたので、先ほど聞いたら、7時まで片づけしていたそうです。確かに目覚めたとき、眠そうではありましたが、すっきりした顔をしていました。
妻に限らず、誰でも日々過ごしていれば、気がつけばどんどん溜まっていくと思うんです。人間ですから。それがいけないわけではないけれど、これだけ人がシンプルに憧れるのは、現代の人間の永遠のテーマなのかもしれませんね。
一回手にとって、裁断して、スキャンする作業は、ただ捨ててしまうよりも手間も時間もかかります。無駄だという意見も勿論あると思います。
けれど、案外大切な、執着を捨てる一歩なのかな、と思いました。