日本を代表する、いや、世界を代表する腕時計ブランドといえば、SEIKO。このブランドの果たした役割については、色々熱く書きたいこともあるのだけれど、今回は最も長く作られ続け、愛され続けるSEIKO 5について。
SEIKO 5は1963年から作られ続けているモデル。機械式の腕時計は、クォーツショックのあと、薄く、軽く、電池で動くことが時代の最先端、ということで、国内向けの生産は一度やめてしまったところも多く、その中でこのSEIKO 5は止まることなく作り続けられてきた。
これは凄いことだと思う。
そうして止まらず生き残れたのは、販路を国内ではなく海外に移したから。だから、一応国内の販売ラインナップからは消えている。海外では格安で電池が要らず、結構タフに動いてくれるSEIKO 5は細く長く愛され続けた。特に中東など。
海外で販売することで、国内ではSEIKOという名を持つ以上やりにくいデザイン上の思い切ったものや、どこかの時計に似ているものなど、また、デザイナーが自分の時計への想いをぶつけたものなど、大量生産出来るからこそ作れる思わぬ名作が数多く生まれている。
デザインの多様性、低価格(国によっては安いというより、他の時計より買いやすい)、そして、世界におけるSEIKO、そして日本製という安心感。
ベースとなる中の機械(7S)がほぼ完成されていたのも大きいと思います。だから色々なものが生まれてきたのは、長く平和な時代が続いたからこそ、素晴らしい文化が多く生まれた江戸時代と似ている気がします。
実際カッコいいかと言われれば、人それぞれ。決して高い時計とは思われないかも(ダイバーズ等一部は除く)しれません。ただ、海外での評価は高いし、先に海外で評価を受けて逆上陸してきたのは、CASIOのG-SHOCKと同じ。50周年を機に、国内でも正式に一部のモデルが発売されました。
でも本当の魅力は、もう世界に果たして何万?何十万?種類あるのか、誰も恐らく把握出来ていないんじゃないか、と思えるほどの種類と、それだけ世界中で意識せずに日々愛用している人がいるということ。
SEIKOがクォーツショックでもたらしたものは、子どもでも誰でも自分の腕に時計をすることができる、いつでも時間を知ることが出来るようになる、という夢。
結果として時計の低価格化が進み、90年代以降、「そうじゃない。時計とは時を感じるもの、味わうもの」とばかりにスイス機械式時計の逆襲が始まるわけですが、SEIKOが当時描いた「誰にでも時計を」という夢は、確かにSEIKO 5を通して世界中で実現することになったのだと思います。