私たちの周りには数千円から数十万円まで、非常に幅広い価格帯の革靴が販売されています。革靴が趣味な方にとっては何十万円とする革靴でも躊躇せずに買ってしまうかもしれません。ボーナスが出たらあの雑誌で絶賛のブランド靴を購入しよう、という想いを励みに日々お仕事を頑張られている方もいらっしゃるでしょう。ただ、ひとまずここではそうした私も含めた「靴が好きで好きでたまらない」「革靴を眺めながら白飯三杯はいける」という人の話は除きます。
多くの方にとっては、革靴は数千円、多少奮発しても1万円を少し超えるくらいの価格が妥当だと考えているのではないか、と思います。また、修理といえば、基本的には同様に数千円から、靴底の全張替えとなれば1万円を超えてきます。となれば下手に修理に出すよりも「履きつぶして新しい靴を一足買ったほうが良い」と思われている方も多いのではないか、と思います。
実際に店頭に立っていた頃も、多くのお客さんにとっては、「靴は履き潰すもの」という感覚でした。
それ自体は何も責められるものではありません。
ただ、今回は少しだけ想像してみてほしいな、と思っています。
その靴の価格、修理の価格、妥当(適正)だと思いますか?
いえ、そもそも価格って何でしょうか?
私たちの革靴は「大量生産・大量消費」が前提で作られ、価格が決められています。
何を今更、と思われるかもしれませんが、私たちの革靴は大量生産・大量消費が前提で作られ、価格が決められています。私たちがこの価格で靴を買えるのは、またセールになると更に半額以下にまで下がることがあるのは、この大量生産・対象消費が前提になっているからでもあります。
よくApple社のiPhoneの新しいモデルが出るたびに、その原価が話題になります。「Appleボロ儲けだな」みたいな話の方向に持っていかれることが多いのですが、もちろんそうではない(原価で計られるものではない)ことはこの文章を読まれているあなたならとっくの昔からご存知だと思います。
毎年膨大な数の革靴が作られ、膨大な数の革靴が処分価格で投げ売られていきます。
あるメーカーの革靴で考えてみれば、たくさんの提携工場が国内外に存在します。そして、提携工場は様々なメーカーの靴を請け負っていますので、ほぼ一年中稼働させています。そして日々、大量の靴が生産されていきます。部材を大量に調達することでコストを下げ、また大量に生産することで、一足あたりの単価を下げています(部材に関しても同様です)。
店頭には日々、各サイズ欠品が無いように、また飽きられないように新しいデザインの靴が大量に納品されてきます。そして、ある程度の期間が経てば、更に新しい商品のための棚を空けるために、サイズ欠品、在庫欠品してきた以前のモデルは、セール価格になるか、もしくはアウトレット店舗(があれば)などに送られます。
アウトレット店舗でも同様に日々大量の靴が納品され、更に値段を下げられ、それでも売れなければ、また新しく納品された商品のための棚を空けるために、半額以下、もしくは原価を割った処分価格で売られていきます。それでも売れなかった靴に関してはここでは触れません。
余程何か大きな意識と仕組みの変化が起きない限り、このスパイラルは続いていく。
こんな話は何も革靴に限った話ではありませんし、衝撃の事実でもなんでもありません。私も何もその点を糾弾したい訳でも、大きな変革を起こしたい訳でもありません。余程世界レベルで何か大きな意識と仕組みの変化が起きない限り、どの分野でもこのスパイラルは続いていくと思っています。
ただ、日々売り場に立っていると、そうした中で大量に納品され、消費され、ある意味では廃棄されていく革靴を眺めていると、時々何かやりきれない気持ちになるのです。
私にとっては、それを強く意識するのが、たまたま仕事であり、また趣味でもある、そして大好きな革靴だったに過ぎません。
皆さんそれぞれがそれぞれの興味関心のある対象で、同様にやりきれなさや感情を抱かれるのではないか、と思っています。
そして、その結果が、現在(靴好きではなく)多くの方にとっての革靴といえば思い浮かぶ(妥当な)価格でもあります。
ただ、ここで今回は敢えてその先に進んでみたいと思います。それが修理です。
革靴を修理に出そうと思ったとき、あなたはその価格をどう思いましたか?
同様に店頭には非常に多くの革靴が持ち込まれます。それが「修理」です。修理に持ち込まれたお客さんの多くは、その見積金額に驚かれるか、もしくは人によっては半分キレる方もいらっしゃいます。
お店に修理のために靴を持ってきて、見積もり金額が思った以上に高いと知った途端、吐き捨てるように文句を言った挙句、目の前に出した靴を雑に(持ってきた時の)コンビニ袋に放り込んだり、「じゃ、捨てて」と冷たくなる方が結構います。
あとは、修理に時間がかかる、踵だけで良いと思ったら他にも修理が必要だった、と分かった途端、じゃあ履き潰すよ、と言い放つ方。
気持ちも分からなくはありません。
でもね、つい少し前まで、そんな冷たい態度を取っているあなたの足を、体重を、毎日支え続けてきた靴なんです。
こちらの文章でも書いたのですが、実際には靴一足修理するのには、かなりの手間と費用がかかります。けれど、それが本来であれば普通なんです。実際、私が同じ値段でその靴を修理しろ、と言われてもやりません。いや、倍でもやらないかも。修理ってそれだけ大変な仕事ですし、また様々なコストも時間もかかるものですし、更に利益を出すのも大変です。けれど必要な仕事です(ここでは靴の修理をされている方を馬鹿にしている訳ではありません)。
そして、翻って考えてみれば、その靴を作る、という行為も本来であればそれだけ手間もコストもかかるものなんですね。ビスポークシューズのそれぞれの価格が適正かどうかはここでは別として、一般的にはもしそれだけの手間とコストをそのまま金額に反映させるのであれば、今の価格ではとてもではありませんが出来ません。すべて大量生産・大量消費が前提になっているからこそ出来るとも言えます。
価格と価値は別です。価格だけで考えてしまうのは寂しくありませんか?
先程の触れましたが、私は何も大量生産・大量消費の現状はケシカランとか、私たちは大きな罪を云々みたいな話をしたいわけではありません。何か社会に問題提起をしたいわけでもありません。だから、あなたが革靴をどう扱おうと自由です。
ただ、年齢問わず、男女問わず、ネット上で、また現実社会において、店頭において、「原価」話や、「ボッタクリだ」「コストパフォーマンス」だ、といった話が出てくるたびに、革靴好きとしては、何となく寂しくなってしまうのです。
価格の問題は、何も私たち消費者、ユーザーだけが考えれば良い話ではありません。ただ、メーカーだけが考えれば良い話でも無いと思うのです(つい私たちは「企業努力」を求めますが、私たち自身も普段は生産者であり、販売者でもあることを忘れがちです)。
あなたが革靴に興味を持ったのであれば、それだけで同じ靴好きとして嬉しいですし、別に何か説教したいわけでも、反省して何かをしてほしい訳でもありません。
ただ、ふとした時に(革靴に限らず)思い出して見てほしい、想像してみてほしいな、と思います。それは私も同様です。私もよく忘れます。だから、自戒も込めています。
今、目の前にあるこの革靴は、様々な事情と需要と供給と理由があって、その価格になっている。けれど、価格と価値は別です。
その靴をどう扱うも私たちの勝手です。ただ、価格だけで考えてしまうのは、少し寂しくありませんか?
このブログの「靴のお手入れ」と「靴の選び方」が一冊の本になりました。
今回の文章も含め、今までこのブログで200以上書いてきた「革靴のお手入れ」と「革靴の選び方」に関する内容に加筆、修正してまとめたものをAmazonのKindle書籍として発売しました。
前半で皆さんが「何か特別で面倒なもの」と考えてしまいがちな靴磨き(本書では「お手入れ」)について、また後半では多くの方が陥りがちな革靴の間違った選び方(主にサイズ)についての誤解を解きたいと思います。
Kindle書籍、というと「Kindle端末」が無いと読めない、と思われている方も多いのですが、お使いのスマートフォンやタブレット端末でも「Kindleアプリ」を入れることでお読みいただけます。スマホに入れて、いつでも気が向いたときに目を通せる、いつも手元に置いておけるものを目指して書きました。また、Kindle Unlimited会員の方は、今回の書籍は無料でお読みいただけます。
この文章をきっかけに、より多くの方にとって「革靴って痛いと思っていたけれど、ちゃんと選べば意外と快適なんだな」「靴磨き(お手入れ)って何も特別なものじゃなくて、毎日の歯磨きや洗顔のような日常なんだな」と感じて頂き、より革靴を身近なモノに感じてもらえたら、と願っています。