Palmって覚えていますか?というか、ご存知ですか?2000年代前半に日本でも少しだけ普及した(のかな?)手のひら端末です。今ならiPhoneの通話機能のないもの?音楽機能も厳しいか。昔懐かしい電子手帳のようなものだと思って頂けるとイメージしやすいかもしれません。日本ではPalmよりもCLIE(クリエ)のほうが少しは知られているかもしれませんね。ザウルスとか、あの辺りの時代です。
なぜ突然Palmを思い出したのか。
今更Palmが戻ってきて欲しい、というつもりはありませんが(でもちょっと久しぶりに欲しい。)、当時はPalmに胸熱くしました。私のPalm遍歴についてはまた改めて書きたいな、とは思っているのですが、モノクロ液晶画面に今となっては見にくい日本語を表示させて、Graffitiでちまちまローマ字入力してアドレスやスケジュール、サイトから落としてきたブログの文章を読んだりしていました。
いや、懐かしい。改めて、と言っているのに、書くとやはり止まらなくなる。
で、なぜ思い出したのか。今回発売されたKindle Paperwhiteがようやくvoyage同様、解像度が300ppiになりました。相変わらず液晶はモノクロですが。ちなみに今までのPaperwhiteは221ppiです。なんかどうでも良いですか?
解像度が上がるということ。Palmでもそういえばあったなぁ、と。
今回、折角だしプライム会員なら4,000円引きになるし、買おうと思っているのですが、(このブログを上げた後に注文しようかとちょっと考えているところ)、発売日を過ぎたこともあって、ネットでも今までのPaperwhiteとの見やすさ、フォントの比較の画面などが載っています。
正直、わかりにくいのですが、きっと手に取って見てみると、あれ、なんか見やすくなったな、滑らかになったな、と感じると思うのです。
そして、そこでふと思い出したのです。Palmでも以前、そんな移行期があったなぁ、と。そして、その後少しして、日本市場からは消えてしまったなぁ、と。
確かに見やすくなると思う。けれど、本質はきっとそこではない。
解像度が上がる、といったことは、アルファベット圏の国々以上に、私たち漢字圏の人間のほうが嬉しいです。しっかり見やすさに影響します。そしてより滑らかな描画が可能になるからです。
Palmでも解像度が2倍に上がった時期がありました。CLIEのように日本のメーカーの出す端末はそもそも解像度が全く別物で日本語表記を想定していたから綺麗だったし、更にカラーで、動画も見れて、音楽も聴けて、と革新的でした。でも私は結局CLIEも買いましたが、求めたのは単に解像度が上がって一画面中の表示文字数が増えることだけでしたが。音楽とか動画とか不要でした。
今回の解像度が上がることは、もちろん私は歓迎です。というか、それは益々本を読みやすくしてくれるでしょう。
けれど、私がKindleに惹かれている部分。よく最近触れる、「だけできる」の魅力。それは、ふと今回、私にとってはPalmなどの頃から続いている根っこにあるものなのかなぁ、と感じました。
Palmにも多機能、高性能、カラーなど様々なものが求められた時代があった。
けれど、Palm本社は確かこれを拒んだんですよね。それも単に変化したくない、とかコストをかけたくない、とかいうことではなくて、明確なコンセプトがあったから。ポリシーがあったから。それが、上でちょっと触れたSimply Palmのような思想だと思うのです。当時もZen(禅)なんて合わせて持て囃された時期がありましたね。
結局Palmは時代の流れについていけず、通話機能なども徐々に増やしたりしながら、日本からは消えていってしまいましたが。
今のスマホはなんでも出来ます。けれど、シンプルに扱えること。だけ出来るというPalmの魅力は今も輝いています。
文字入力だけは不便でしたけどね。恐らく。あれも日本で受け入れられなかった大きな理由だとは思いますが。
今回のKindleの新型を見た時、というよりも、画面の比較の記事を幾つか見た時、ふとPalmの解像度の話を思い出したので、ちょっと懐かしくなって書いてみました。
もちろん今回のKindleも私は欲しいですし、楽しみです。ほとんど変わらず、本を読むことに特化させてくれている今の方向性は私はとても気に入っています。結局私の周りにあるのは、こうした「だけできる」、その「だけ」に特化しているものが増えました。そうなってくると、シンプルなものが増えてきます。
[かぶ] 新しいKindle Paperwhite発売前に、改めてKindleの「だけできる」ことの魅力を伝えたい。
Palm、良かったなぁ。思わず当時の雰囲気を懐かしみたくなってしまいました。ちょっとまた調べてみようかな。