[0201-201405] 震災直後の非常用の持ち出し袋に関する記事をまとめて移行する中で感じた震災と原発と放射能と日々の生活の諸々。

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[0201-201405] 震災直後の非常用の持ち出し袋に関する記事をまとめて移行する中で感じた震災と原発と放射能と日々の生活の諸々。

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午前中は前のブログで震災後に書いていた記事を、まとめてこちらに移行作業をしていました。非常用の持ち出し袋や、普段から持ち歩きたい、携行グッズを調べ、考え、自分なりに準備した過程を毎日書き綴っていったものです。
今、改めて読み直してみると、当時はアウトドアもそれほど身近ではなかったこともあって、微笑ましく感じてしまうものや、ちょっと恥ずかしくなってしまう組み合わせなどもあったりします。
けれど、それ以上に、まさに日本全体がそういう空気にあった時に、自分なりに日々真剣に、自分の出来る限りのイメージで考えて作ったものなだけに、その当時の感情や空気感が改めて伝わってきて、考えること、意識し続けることの大切さを改めて感じました。

空気感が伴わない中での言葉の上だけの熱い議論と、温度差の大きい街の日常にある空気


ここ最近、ネットでは美味しんぼ騒ぎや、今日であれば大飯原発の再稼働に関する差し止めの判決と、それに伴っての女川原発の議論など、震災は今も影響を及ぼしていることを感じます。
ただ、原発推進にしろ反対にしろ、その主張を眺めていると、どちらも極端だったり、お互いに反対の意見の人たちを馬鹿にしていたり、誹謗や中傷が飛び交っていたり、相手の意見の穴をつくことに終始していたり、どこか本質からずれたところで言葉遊びと揚げ足とりが続いているようで、何となく現実感がなく、寂しくも感じるようになりました。
で、ふと考えた時、それは震災直後のような、街も人も覆うような、他人事ではない現実感であったり、重い空気のようなものが、今は街中には全くないからなのかなぁ、などと思います。
原発も、放射能も、今目の前に迫ってくる現実ではなく、日常においては本当にごく一部の人の問題であり、大半の人には他人事。聞かれれば一瞬眉をひそめながら心配はするけれど、それくらいのこと。
だから、議論が熱くなっても、私たちの毎日はいつも通り続き、こうした話は相手を馬鹿にしつつ、お互いに問題の表面を撫でるように言葉遊びを楽しむ、ちょっとしたスパイスに過ぎなくなっているのかな、と思います。

偉そうに書いてはいるけれど、勿論私も忘れてました。


それが全ていけないわけじゃないと思うんです。じゃなきゃ、日々やってられません。
私だって、あの時それなりにこれから先の生活を真剣に考えたり、ああして非常袋や携行グッズ作りましたけど、ここ最近はすっかり忘れていましたし。
いま突然大地震が来ても、ほぼ対応不可能です。役に立たないと思います。
勿論、今もたくさんの人があの震災の影響で苦しんでいる訳ですが、忘れちゃっていける人たちが出てこないと、日常は動いていけないのかな、と。
そこまで頭の中をぐるぐると思考が浮かんでは消え、としている内に、ふと思いました。

何も変わっていないくらいの僅かな変化で、けれど生活や意識は影響を受け続けている。


世の中は何も変わっていないように見えるけれど、実際は意識しないと気がつかないくらいの量ずつ、それぞれの中で変わっているんだろうな、と。
例えば私だって、あれからアウトドアに関心を持つようになり、夫婦で毎月山に行くようになりました。そんな中で、日々の持ち物を見直したり、部屋の物が半分以上減ったり、食生活やこれからの意識が変わったり。それは決意して変えた訳じゃないけれど、こうして考えてみると、そういえば何か違うよね、みたいな程度です。
それだから、それまで物欲のままに土屋鞄の物を毎月一品買い続けてきた日々を続けてブログをそのままでいくことに違和感を感じ、それがこうして今の形に移行していったわけです。
ブログ自体は大した変化はないかもしれないけれど、これも言われてみれば気づく程度の変化。
意識して変えようとすることは、一時的には非常に大きな力を生むし、大切なことなのだけれど、人や世の中を変えていくのは、日々の無意識に続けられていく小さな変化や習慣なんだな、と改めて思います。

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空気感が伴わない中での言葉の上だけの熱い議論と、温度差の大きい街の日常にある空気

偉そうに書いてはいるけれど、勿論私も忘れてました。

何も変わっていないくらいの僅かな変化で、けれど生活や意識は影響を受け続けている。

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