先日、実家の父へ贈る初めてのスマホとしてのZenFone Goと、その後について書きました。その際にこんなことを書いたところ、
流石に88歳の祖母に今からスマホは厳しいとは思いますが、祖母も毎日、祖母なりにガラケーを使って、時々孫に電話をしてきてくれます。誤変換だらけのメールを一生懸命送ってくれます。それがとても嬉しいです。
とても温かい、嬉しいメッセージを頂きました。
もちろんどなたにも当てはまるわけではありませんが、うちの祖母は88歳でパソコンを、90歳からiphone使うようになってそれなりに使いこなしております。
88歳も決めつけたものではありませんよ?
当時かな入力、それもレジストリ弄ってキーボードカバーも作って1列に”あいうえお”順に並べたものですが、いつの間にかローマ字入力使いこなしてました。
びっくりしたのを思い出し思わず初コメントとさせていただきます。私よりもう少し下の世代は敵国語だからローマ字は教えてもらえなかったものよ、とか言ってましたっけ…
この文章には他にもFacebookページやTwitterなどでもコメントを頂きまして、スマホだけでなく、家族や歳というものについて改めて考える、見つめるきっかけを頂いています。本当にありがとうございます。
音声入力がもっと使いやすくなればそっちのほうが受け入れやすいんじゃないかと思った→[かぶ] 私たちが初めてのスマホを両親に薦める時に忘れがちなこと。ASUS ZenFone Go(ZB551KL)レビュー。 https://t.co/FJGHh8pVnf
— ふらぢゃいる (@Fragile1973) 2016年4月30日
そこで今回はレビューとは少しズレますが、改めてこのテーマについて考えてみたいと思います。
私の祖母は87歳。10年ほど前には一人でアメリカの息子の所にも行きました。
ごめんなさい。先ほど見直してみたら1歳間違えていまして、87歳でした。今年88歳です。
祖母は今も実家で大変元気でして、今週末に2泊3日で上京するのですが、祖母との想い出を色々書くと明らかに脱線するので今回は簡単に触れたいと思います。
祖母は今も背中は曲がっていませんし、言葉もハッキリしていますしボケもありません。耳が多少遠くなった、前より身体が重くなった、といったことはあると思いますが、毎日午前中に散歩に出かけ、道中で知り合いに会うと話し込んでしまって3時間も帰ってこなかったり(先日の帰省時にそうだった)、家でも洗濯物を干したり浴槽を掃除したりと元気です。10年ほど前、息子(私の叔父)のところに子どもが出来た際には、出産前後の諸々を手伝うために一人で飛行機に乗ってアメリカに行きました。
あまりに元気で変わらないため、今まで介護といったことを全く意識せずにいた、というのも正直なところです。祖母はいつまでも元気な祖母。そう思っていました。思いたかったのかもしれません。
そんな祖母がここ1~2年で急に小さくなってしまった。
何となく残りの人生について口にするようになったり、遠方の親戚(わが家は祖母方の親戚の繋がりが今でも強い)の元を訪れたり頻繁に連絡しはじめたり、身の回りの整理を始めたり。ちょっと弱気な言葉も耳にするようになったこともあり、祖母の年齢というものを少し意識するようになりました。
最近私の帰省の頻度が増えた理由の一つが、この祖母との(残り少ない)時間を大切にしたい、という思いがあります。
そんなこともあって、何となく私の中で「87歳の祖母にスマホは無理ではないか」と無意識にとはいえ頭から決めつけてしまっていたところがあります。ところが、冒頭でご紹介したメッセージを読んで、とても大切なことに気がつきました。
祖母を小さくしてしまっているのは、私たち家族かもしれない。
もちろん祖母自身の年齢もあるとは思いますが、それ以上に周りの私たち家族の接し方も大きいのではないか、と思ったのです。わが家はありがたいことに家族の関係は非常に良好です。祖母にもまだまだ生きていて欲しいと思っています。その反面、年齢を気にして、つい「あれダメ」「これダメ」と言ってしまうんですね。
転んだら大変だからあまり一人で出歩かないで。
自転車は危ないからやめて。
旅行に行くなら私たちも付いていくから。
など。
勿論間違っている訳ではありませんし、本当に心配する気持ちから来てはいます。ただ、道楽者で洒落者で地元のボスのような存在だった代わりに家のことはからっきしだった祖父と結婚してから家計のやりくりから親戚のもめ事まで何から何まで一人でやり繰りしてきて、祖父を看取り、その後も孫たちと海外にも行ったりと、祖母はずっと強く、一人でやって来た人でした。そんな祖母が急に歳を取ったから、と「あれダメ」「もう歳だから」「無理」と大切な家族から言われ続けたらどうでしょうか。
祖母の自信だったり、好奇心というものを押さえ込んでしまっているのではないか。いつの間にか祖母を1人では危ないから何をやるのも気をつけなければいけない存在にしてしまったのではないか。
考えてみれば、実家のある地域では、ご近所の農家のじいちゃんばあちゃんは足腰立たなくなるまで現役です。
この辺りのニュアンスは難しいですし、そのバランスも難しいのですが、そんなことを思ったのです。
体力的なことをいきなりは大変でも、指先を使うスマホなら案外出来るかもしれない。
祖母は理容師です。70歳過ぎまで髪を切り続けてきた人です。今は廃業しましたが、ここ最近は折り紙が好きで、いつもとても綺麗な折り紙の作品を見せてくれます。正直私にはそこまで折れません。
指はまだまだ、いや、私よりもむしろ器用かもしれません。
スマホでいきなりあれもこれも出来る必要はないけれど、
アメリカにいる孫やひ孫の写真が届いたら嬉しいかもしれない。
お散歩した時に撮った写真を送れたら嬉しいかもしれない。
東京で暮らしている孫夫婦(私)から写真が届いたら嬉しいかもしれない。
そして、それらの操作に関しては、下手に小さなガラケーよりもむしろ大きめのスマホの方が使いやすいかもしれません。
勿論すべて「かもしれない」ですし、私が思っていることに過ぎません。もしかしたら祖母にとっては余計なお世話。私の自己満足も勿論あります。
けれど、あの祖母なら何となくやってしまいそうな気がする。そして、それは孫にとっても大変嬉しいことです。
タブレット端末でも良いけれど、手元には5.5インチスマホが1台ある。
そこで最近散々レビューから、色々な使い方を試している5.5インチスマホのZenFone Goです。そういえばこの端末、今色違いで父が使っております。
大きさだけ考えればタブレット端末の方が見やすいかもしれません。持ち歩きはしないかもしれないですし、実家はWi-Fiが使えますので、そうした点ではWi-Fiオンリーでも良いのですが、1人だけ違う大きな端末というよりも、家族お揃いのスマホの方が嬉しいかな、と思うのです。というか、よくもまぁこんなに手元にスマホあるな、私。
最初は眺めるだけ、受け取るだけでも構いません。あ、孫から写真が届いた。それで良いかなぁ、と思います。もう孫の満足のためにスマホ持っておいて。そんなところです。
ただ、そのために何が祖母に必要で(アプリではなく、使う上での障害を減らし、ハードルを低くするため)、何が楽しいか、どうすれば手元に置いてくれるかを考える必要があります。
ちょうど今週末、親戚に会いに上京してくるのですが、帰る日にご飯を食べよう、と約束していますので、その時にさりげなく話してみようかな、と思っています。
そんな祖母は今日は既に携帯電話から3回電話をくれました。メールは折角一生懸命長い文章作ったのにどうも最近うまく送れない、と言っていました。
祖母と益々楽しい時間を過ごせるように、祖母にまた楽しみが一つ増えるように、この週末は色々妄想してみたいと思います。
もしこんな方法があるよ。こんなの良いんじゃない?これは気をつけた方が良いよ。といったことがありましたら、お気軽にメッセージやコメントお待ちしています。
初任給でおばあちゃんにZenFone Go贈ります
— ていな (@teina1017) 2016年4月28日
他にも初任給でおばあちゃんにZenFone Goを贈る、という方もいるようなので、お互いに良い贈り物になったら良いな、という気持ちも込めて。