今月6日、義父が他界しました。4年間の闘病生活の末、72歳でした。
ここまでの文章を書くのでさえ、私にはとても難しいことでした。それは義父に対する想いなども勿論ありますが、それ以上に、たったこの2文でさえ、私はどう書いて良いのか分からなかった(戸惑ってしまった)からです。
親族側として、どう友人知人、そしてこうした場所でこういう話をすれば良いのか、そして失礼に当たらないのか、ということは、今まで考えたことも経験したこともなかったからです。だから、正直出だしから、そしてここから先も、表現が間違っていたり、眉を顰めるような文章もあるかもしれません。
けれど、それでも今、浮かんでいる想いを文章に残しておきたいと思いました。
私たちはあまりに家族の、特に両親の死に対して、準備が出来ていない、ということを。
自分の両親と避ける話題。それは両親の死とお金のこと。
私たちは死やお金のことを話すことを避けようとします。特に自分の両親と話すことは少ないと思うのです。
[0636-201502] 当たり前の幸せとは何だろう?と改めてじっくり考え、家族で共有する必要がある私たち30代に贈る一冊。
この本を紹介してほぼ一年。情けないことですが私は未だに両親ときちんとお金の話が出来ていません。1度だけ帰省した際にたまたま母と喫茶店に行くことがあり、何気なく上の本の話を出したことがあるのですが、母にはタイトル(親のスネをかじる)だけしか印象に残らなかったようで、誤解されて終わりました。
今回の葬儀には実家の両親も新幹線で駆けつけ、参列してくれました。私の父は現在63歳。まだまだ、と思っていても、あるとき突然義父のように自宅で倒れてそのまま会話も何も出来なくなってしまうかもしれません。
けれど、私は父や母がどのようにこれからの人生、そして送られていきたいのか、きちんと話したこともありません。今回の葬儀の際、火葬場に向かう30分ほどの間、タクシーの中で両親と三人でいる時間がありましたが、死の話題は意識的に避けてしまいました。次に両親に会うのは帰省した時です。
今回義父が他界したとき、私が出来たこと。
今回の喪主は義弟でした。義母を支えながら、私の妻と二人で葬儀全般の打ち合わせから当日まで、立派に勤められたと思います。妻が言っていました。「お葬式ってこんなにお金がかかるんだ・・。」
義父の希望でもあり、また妻と義弟と義母の3人で決めたことでもあるのですが、今回は「家族葬」「無宗教式」「通夜無し」でした。けれど常日頃看護師という立場で多くの死に接し、また今回も4年間、キーパーソンとして日々義父に関すること(看病から手続きまで)をしていた妻です。死に関してもこの4年間かなり冷静に見つめていました。けれどそんな妻でも、勿論肉親の葬儀というものは全く経験したことはないですし、また葬儀というものを考えたことはありませんでした。
私に出来たこと。それは病院から連絡が来たとき、真っ先に駆けつけられたことを除けば全くありません。何も出来ませんでしたし、当日もただその場にいただけだったと思います。
そして、正直に書きます。私は帛紗一つ持っていませんでしたし、香典の相場も、またどう参列するのかも、全く分かりませんでした。
葬儀前。あなたは何で情報を集めますか?
こうしたとき、人って薄情なものですね。義父が亡くなったというのに、葬儀の前まで私の頭を駆け巡っていたのは、義父への感謝でも哀しみでも何でもなく、どうすれば失礼に当たらないかということだけだったのです。
そして、そんな感情に至る原因は一つ。常日頃、身近の人の死を考えてこなかったこと。そして、その為の準備を全くしてこなかったこと。そこから来る、人の死に対する無知でした。
勿論知識と、感謝などの感情は全く別物です。けれど、ふと思い出して欲しいのですが、突然身内や友人知人に不幸があり、葬儀に参列する、となった時、今まで葬儀に参列した経験が少なければあなたはどうしますか?
慌てて本を調べる、もしくは今だとネットで葬儀参列マナーを真っ先に調べるのではないか、と思います。
断片的な情報やハウツーは幾らでも集めることは出来ます。簡単です。
けれど、本当はそんな断片的な情報やハウツー、細かいマナーなんてものは、本来は二の次のはずです。けれど、その二の次なことを全く普段知ろうと、意識してこなかったから、そちらにばかり意識が向いてしまう。
こんな状態で、いざ自分の親が死んだ時、私は親をきちんと送ることが出来るでしょうか。
恐らく何も分からないまま、流されながら、急いで情報をかき集めて、とりあえず滞りなく済ませることで精一杯だと思います。
それで本当に良いのか。
「親が死んだ5分後にあなたがしなければならないこと」
この本は、葬儀前日に帛紗を買いに行った際に、そろそろいい加減に葬儀の一通りを知っておいた方が良いのではないか、と改めて思い、何か簡単に分かるものはないかと探したときに見つけたものです。けれど最初はマナー本を探していたのが正直なところ。本当はマナー本よりも大切なものがあると思うのですが。
親が死んだ5分後にあなたがしなければならないこと-。
それは故人に寄り添うことです。
これまでの人生で誰かを看取った経験がない人にとっては、その場をイメージするのは少し難しいかもしれません。それでも、何か特別なことをするというわけではなく、息を引き取った親の手を握り、最後のぬくもりを感じるだけで十分ですから、ご安心ください。
勿論日本の伝統的なお葬式に関しては色々な意見はあるでしょう。私も色々と疑問に思うことはあります。不要だと思うものも多い。けれど、一つ考えて欲しいこと。それは、知ろうとしないで、考えようとしないで、とやかく言うなと言うことです。
ひょっとしたらみなさんは”親の死”は「いつか」来るだろうとお考えになっていらっしゃるかもしれませんが、じつは「必ず」訪れます。その現実から目をそらすことなく、しっかりと向き合えば”残された時間”を意識せざるを得なくなります。すると、「老後を迎えた親と、これからの時間をどう過ごすべきか」が必ず見えてきますので、いまの親御さんとの関係、そして家族関係を見直すことにもつながるでしょう。親が亡くなってから「あのとき、こうしておけばよかった」「ああしておけばよかった」などと後悔しないためにも、ぜひ本書を事前準備を進めるきっかけにしてください。
そうした点でも、きっかけの一つでも構わないので、そしてこの本でなくても構わないので、親の死、というものについて、そしてその時について考えてみて欲しいな、と思います。
けれど、次に考えるのは、悲しいことに結局は肉親を喪った時。
今、私は義父の葬儀を終えた翌々日です。だから今、私の心の中に、義父への、そして両親への想いがまだ満ちています。ありがたいことに、私の両親は健在です。まだ時間はあります。その想いが、こうした文章や、こうした書籍を手に取り、読み、考えよう、という気持ちにさせています。
けれど人は悲しいことに、日が経つにつれてその気持ちが薄れてきます。日々の忙しさに、そうした非日常なことは後回しになってしまいます。
もしかしたら次に考えるのは、悲しいことに結局は肉親を喪った時なのかもしれません。それはあまりに切ないと思いませんか。
こうした本を数冊読んだ程度で何かが変わるわけではないかもしれません。そして、今すべきことは他にあるのかもしれません。けれど、今、この想いを大切に、今、改めて親や家族の死というものを考え、心の求めるままにもっと知りたいと思っています。
2時間程度で読み終えてしまいましたが、非常に良い本だったので、折に触れて手に取れる場所に置いておきたいと思います。こういう本は裁断して電子書籍にするのではなく、パラパラと眺めて気になったところをその都度読むのに向いていると思います。
こちらもAmazonで評価が高かった、同じ著者による本。私の両親も60歳を過ぎましたので、次に読みたいと思って今カートに入れています。