[かぶ] 昨年、ワードローブのスーツとジャケットを大量処分(廃棄)した先に見えてきた世界。

*2023年(令和5年)10月1日からステルスマーケティングが景品表示法違反となる、所謂「ステマ規制」が施行されました。当ブログの方針についてはこのサイトについてをご参照ください。

*当ブログではGoogle Adsense、Amazonアソシエイト等アフィリエイト広告を利用して収益を得ています。収益はこのブログの運営維持のために充てさせて頂きます。

[かぶ] 昨年、ワードローブのスーツとジャケットを大量処分(廃棄)した先に見えてきた世界。

シェアする

元々仕事が高額品を扱うものだったこともあり、上質で比較的高額な物を身にしていました。スーツとかジャケットとかですが。

格別高額というほどでもないのですが、それなりにはしていたと思います。毎季節何着もオーダーしてましたから。

ある時、物凄い息苦しさとストレスを感じた。

ところが、そんな仕事を辞め、今の生活になった時、ワードローブのかなりのスペースを占拠しているこれらの集団が重苦しく、ストレスになってきたのです。また、着る頻度も極端に減ってきてしまいました。

スーツは着ないまでも、ジャケットなら幾らでも着られるし、元々そういう服装が好きなので、無駄にならないはずなのですが、何となく袖を通さないまま時間だけが過ぎていきました。

そんな時、ある冬の夜遅く。ワードローブを眺めながら、突然思い立ったのです。

「心動く物、もしくは着たい、着ている姿がイメージ出来るものを除いて、思い切って捨てよう。」

妻が寝ているそばで、起こさないように、勢いよく一着ずつ品定めしながらゴミ袋にどんどん放り込んでいきました。そのまま悩む前にゴミの収集場所に持って行きました。翌朝が収集日でしたし。

その結果、何が起こったか。

大量処分の先に見えてきたもの。

激しく後悔した。

もう、心の隙をついて、自己嫌悪と後悔の波が押し寄せる訳です。
ふと、あ、今日の感じだと、あのジャケットが合うなぁ、なんて思った途端、その日一日激しく沈み込む訳です。アホですな。

物によって、激しく後悔するものと、捨てたか捨ててないかすら覚えてない、思い出さないものとに分かれるのですが、要はしっかり後悔しちゃったんです。捨てなきゃ良かった、って。

後悔の先に、ふと気がついたことがあった。

そんな中、ある時ふと気付いたんです。

「あれ?このビキューナ混のキャメルのジャケット、最近やけに着てるなぁ」

「良いと思って作ったライトネイビーのリネンジャケット、今までほとんど着てなかったのに、最近こればかり着てるなぁ」

単に数が減ったから、というだけが理由ではないんです。ここ数年ジャケット自体あまり着なかったので。(OldTown Clothingのジャケットはかなり着ていましたが。)

oldtown-clothing-01

数が極端に減ったことで、本当に好きなものだけ残ったことで、目に留まるようになった。

今まではあり過ぎて、本当に好きなものとそれほどでもないものが分かりにくかったのです。見ても自分が把握できる量を越えていたので、本当に大切なものが見えなくなっていた、というか。

人には、その人にとっての、快適な、また、把握できる量というか、器のようなものがあるんだと感じたのはその時でした。

それより少ないと、人はその足りない分を無意識に補おうとする。反対に多いと、何か息苦しく感じたり、ストレスになったり。

人にはそれぞれ、その人にとっての適正量というものがあるんだと思う。

そうした、自分にとっての器の大きさ、適正量がなんとなくあるんだな、と感じられたのが、大きな収穫でした。

それ以来、今日に至るまで、ジャケットに限らず、靴や時計、その他身の回りの物まで、自分の適正量を意識しながら選ぶようになってきたかな、と感じます。

勿論、そんなこと言ってますが、未だにあの時処分した物も含め、時折悪夢のように蘇ってきて後悔する時はあります。

でも、それは、その時には気づかなかったけれど、失うことで気づくことが出来た、自分にとって大切な物だったんだなぁ、と思うように(思えるように努力)しています。

スポンサーリンク

ある時、物凄い息苦しさとストレスを感じた。

大量処分の先に見えてきたもの。

後悔の先に、ふと気がついたことがあった。

数が極端に減ったことで、本当に好きなものだけ残ったことで、目に留まるようになった。

人にはそれぞれ、その人にとっての適正量というものがあるんだと思う。

  • ある時、物凄い息苦しさとストレスを感じた。
  • 大量処分の先に見えてきたもの。
  • 後悔の先に、ふと気がついたことがあった。
  • 数が極端に減ったことで、本当に好きなものだけ残ったことで、目に留まるようになった。
  • 人にはそれぞれ、その人にとっての適正量というものがあるんだと思う。