朝から重い話で申し訳ないのですが、ふと先週参加した講演の内容を思い出したので、もし良かったら読んでください。
安保法案についてここ最近国内では話題です。直接の脅威に対して日本はどう対処するのか。意見は真っ二つに分かれ、感情論から相手を冷ややかな目で切って捨てる意見まで様々で、それはそれで是非は別としても悪いことではないとは思うのです。
実際話題になっているのはネットの一部だけであって、一歩ネットから離れれば日本は平和で、きっと一番の話題は先日の27時間テレビで岡村の頑張りが泣けたことくらいで(何となくTwitterで検索したら結構27時間テレビ絶賛のツイートが多くて、あ、意外と自分の中でのテレビの印象って少数派なんだな、と気づいた次第)安保法案の話なんてそういえばテレビでやってたね、程度かもしれません。
7.21 玉本英子さんに聞く シリア・イラクの今
そんな中で、先週21日に桜美林大学四谷キャンパスホールで開かれた、アジアプレス所属のフリーランス記者、玉本英子さんのお話を久しぶりに聴いてきたのです。
玉本さんの話は過去に何度か聞かせて頂いたことがあり、非常に分かりやすい話と豊富な映像(映像ジャーナリストとも言われる所以)で毎回非常に楽しみにしているのですが、今回のテーマの一つが、少数宗教ヤズディ教徒の話。
http://blog.truewave.jp/?p=4989
イスラム教への改宗を拒否した男たちは殺害、女性と子どもたちは集団で拉致され、女性は「奴隷」として強制結婚させられ、一部の少年たちは、軍事訓練所に送られています。
<イラク>「イスラム国」に強制結婚させられた19歳のヤズディ女性(上)~集団殺戮と性的暴行、そして脱出 【玉本英子】 – アジアプレス・ネットワーク
僕はイスラム国(IS)の軍事訓練所にいた~脱出したヤズディ少年は語る(1) – アジアプレス・ネットワーク
そもそも少数宗教ヤズディ教徒自体、日本ではほとんど話題に上ることはないし、興味を持つ人も少ないかもしれません。
【ヤズディ教(ヤジディ教)】
ゾロアスター教の流れをくむといわれるが、イスラム教やキリスト教の影響も受けている。イラク、シリア、トルコなどにまたがる地域に暮らす。イラク国内には最も多く、およそ30万人が暮らし、クルド語を話す。フセイン政権下では迫害され、イラク戦争後はイスラム武装勢力から「邪教」として狙われてきた。ヤジディ教、エズディ教とも表記される。
さて、その中で軍事訓練所に送られた少年たち。
少年兵はイラクに限らず、世界各地で問題になっていますが、イラクでも他人事では無くなってきました。アメリカ軍がまだ駐留していた頃に基地の周りにイラクの少年がたむろして遊んでいたり兵士たち相手に小遣い稼ぎをしたりしていたそうです。それはイラクに限らず、兵士とその周辺に住む子どもの話はどこでもあり、敗戦後の日本でも色々な話がありますね。
ところが最近ではそうほのぼのした話では済まなくなってきているそうです。なぜなら、例えば兵士に近づいていた目の前の少年が、単純に地元の普通の少年なのか、ISによって拉致され訓練された少年兵なのかは外見からでは判断が出来ないからです。
自爆テロも外見からでは判断できない一般人に紛れた彼らをどう見つけ出すのか、阻止するのかは難しい問題になっていますが、同様に少年兵かどうかを見分けるというのも非常に難しい問題です。
例え後方支援だとしても、以前のように自衛隊が派遣された時。
当然そういうことは普通にあるわけで、目の前に少年が現れて笑顔で近づいてきたとします。別に特殊な状況じゃありません。
さて。彼は少年兵かもしれない。判断に迷うのは何も自衛隊だけでなくアメリカ軍であれどの国の軍であれ同じです。かと言って、少年だからと無防備に受け入れられるかといえばそういうことではありません。その判断は最後まで付きまといます。
そこで少年が不審な行動を取ったので自衛隊のある隊員は彼を撃たざるを得なかったとします。これってありえない状況じゃないですよね?普通に日々起こること。
その結果少年が死んだ時、私たちはその自衛隊員に「よくやった」と言えますか?
日本では子どもと女性は「罪のない存在」です。
日本で海外のことが報道されるとき、また何か反対運動が起きるとき、よく言われるのが「罪のない一般の」子どもと女性が被害に遭う、という論理。これに照らせば、幾ら法案が採択されたとしても、その結果こういう状況になった時が実は私たちが戦場に駆り出される、徴兵される云々以上に微妙で難しい問題になると思うんですよ。
なぜなら「子どもを撃った」からです。もう日本人、罪のない子どもと女性に弱いですから。
その子どもが本当に自衛隊員に危害を加えようとしたのか。100%の確信もないのに隊員が撃ったのは問題なのではないか。
平和ボケした日本ではそんな議論がきっと真顔で話し合われ、場合によってはその隊員の日本の実家は人権派によってひどい目に遭わされるかもしれません。隊員はたとえ少年が本当に少年兵で仕方なかったとしても、恐らく罪の意識に一生苛まれるでしょう。
そして日本に戻ってこれなくなるかもしれません。なぜなら日本はまだそうした状況に慣れている国ではないからです。
警官が発砲すれば始末書が必要です。幾ら法律が変わっても、自衛隊員が少年を射殺したら法が許しても国民が受け入れられない。
警官が例えどんな事情であれ必要に迫られて発砲すれば、それでも始末書が必要です。だから日本の警官は銃を撃ちません。では法律で認められるようになったとして、恐らく真っ先に後方支援としても海外に派遣されるのは自衛隊の方々になるでしょう。では彼らが海外で少年を撃った、もしくは女性を撃った時、私たちにはそれを受け入れられるだけの心の準備ができていますか?
だから安保法案がいけないとかそういう方向に持っていきたいのではなく。
ただ法律でそれが許される、海外で活動が出来る、となったとしても、一発撃てばマスコミが囃し立てる。誰か死ねば大騒ぎ。もちろんそれは日本人に限らず、日本人が現地で少年や女性、老人を撃てば「罪のない」人を殺せば、それを受け入れられるだけまだ日本の感覚は育っていません。
この辺りはもちろんアメリカなどでも戦争帰りの兵士たちがPTSDを発症し、また日常に戻れなくなる、ということがかなり問題になっていますが、私たち自身が徴兵されたり子どもを戦争に送る云々以前に、その前の今既にある自衛隊という軍隊が起こす行動でさえ、平和に慣れたこの国では毎回大騒ぎになりすぎて身動きが取れないと思うんです。
別におかしな感情ではないんですけどね、人を殺めることが戦争だから許される、ということ自体がそもそもおかしいと思いますし。
ただ、これからまずはその問題がまずは最初に起こるのではないか、と思うのです。今までもPKOの頃から自衛隊が海外に派遣される度にこの問題はついてまわりましたが、それから何十年経っても、一般の日本人にとっては戦争、戦闘という状況は、例え法律で自衛隊員が独自の判断での発砲を許可されるようになったとしても、なったらなったで一発ごとに議論がされ問題視されることになるでしょう。
中国が領海侵犯してきた。だから海上自衛隊が独自の判断で発砲した。それだけで以前は問題で、独自の判断をした隊員は処罰の対象になりましたが、これから例えそれが許されるようになったとしても、結局国民の感情がそれについていけるのかどうか。
結局一番手強いのは中国でもイラクの少年兵でもなく
その都度紛糾する日本国内の感情と反応ではないか、とふと思いました。
国内ではまだ感情論であっても拒否感拒絶感が強い状況で、果たして海外で安心して活動に専念できるのか。
今までは「我が国は平和憲法で云々」と憲法を盾に例え海外からは冷ややかな目で見られていたとしても隠れて誤魔化していくことが出来たわけです。でも海外では今回のことがごく一部を除いて好意的に受け入れられているとするならば、当然そういう状況は幾らでも起きてきて、その時に今までのような誤魔化しは効かない訳です。
あなたは海外で自衛隊員が少年を射殺したとしたら、そしてそれが少年兵かどうか確証がなかったとしたら、それを受け入れられますか?