[かぶ] 美味しんぼの鼻血論争と、未だ続く従軍慰安婦の軍による関与の有無の論争に共通する違和感。

[かぶ] 美味しんぼの鼻血論争と、未だ続く従軍慰安婦の軍による関与の有無の論争に共通する違和感。

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あまりこういう話題に中途半端に触れると火傷するので、触れない方が良いのだとは思うのだけれど、今朝感じたこととして。きっかけは、ハフィントンポストに昨日掲載された、こちらの記事より。

原子力発電所事故と怒り

私は先日、漫画『美味しんぼ』の鼻血騒動に思わず乗ってしまったが、議論の推移を見守っていて、とても不思議に思ったことがあった。「なぜ、放射線による直接的な健康被害の有無にこだわるのだろうか?」という疑問である。放射線の直接的な影響についての評価には不明な点が残るが、精神的な影響を介した広範な健康への被害については、明らかに存在していると考えられるからだ。

もちろん、直接的な影響があるのかどうか、というのは大切な問題だとは思う。ただ、あるのかないのか、という問題だけが一人歩きして、肝心の、今回のことで大なり小なり受けているであろう、目に見えない精神的なストレスについてはすっかり、忘れ去られている気がするのです。

国や軍による関与があったか、なかったか

それは、未だ延々と続く、従軍慰安婦に関する問題にも同じことを感じます。この問題は既に色々な要因が複雑に絡んでいて、簡単に結論づけられる、また適当なことの言えない問題になってしまっているのですが、ただ、この問題でよく取り上げられる論争の一つが、

「当時軍による強制連行などの関与があったのかどうか」

という論点。何か従軍慰安婦のことについて動きがあるたびに、「いや、関与はなかったんだ。」という主張が出てきます。これも、大切なことなのでしょうが、この論争にも同じ違和感を感じてしまう。

じゃあ、軍や国による関与がなければ、軍や国ではない誰かが、もし当時騙したり無理やりそういったことを女性たちにしていたとしても、それはどうでもいいことなのか?日本国内における従軍慰安婦についての主張と、海外におけるこのことに関する温度差は、この辺にもあるのかな、と思います。

日本では国や軍による関与があったのかなかったのかが主で、当時そういう悲劇があったとしても、関与がなければまるで当時の状況を考えれば仕方がなかったんだ、と言っているかのよう。それに対して、海外の反応は、いや、国や軍云々以前に、日本という国は女性がそういう目に遭ったとしても、軍や国によるものでなければ仕方がない、戦争だったんだ、で済ませる、女性のことを考えていない国なのか、という反応。今、もし同じことが起こったとしても、この国にとって大切なことは、国や軍が関わったかどうかであって、そうでなければ関係ないのか。

根本的に話の方向性、論点がお互いにすれ違っている。

放射能、放射線の怖いのは、捉えどころのない、払拭しようのない漠然とした不安や誤解

今回の鼻血の問題も、鼻血が放射能や放射線による影響と関係があるのかないのかは確かに重要なことでしょう。けれど、この漫画が今回これだけ話題になったのは、放射線や放射能というものが、それだけ一般の人にとっては捉えどころのない存在で、不安や憶測、恐怖やストレスを生じやすいものだからだと思うのです。

これは頭で幾ら論理的に考えても、説明されてもなかなか解消されないもの。

実際福島で鼻血を出した人がいるのかもしれない。ただ、もちろん今の段階ではそれが何が原因なのかなんて誰も証明出来ない。いや、もう鼻血が出たのだって前の話なんだから、今更調べようがない。ただ、その人にとっては、何かが理由で、原因で、鼻血が出た。(漫画の中の話ですが)

そのことが、放射能や放射線と結びつけて考えられてしまう、それを払拭出来ない漠然とした不安が、そもそも放射線や放射能にはあるんだと思います。

何か分からない、漠然とした、証明のしようのない不安や憶測、恐怖。そうしたものが、例えば積もりに積もってストレスや、それに関係して生活や食習慣に影響を及ぼして、たまたま鼻血が出ただけかもしれない。となれば、確かに放射能が直接的な原因ではない、と言えるのかもしれない。

毎回続く、当事者不在の言葉遊び

でも、論争に夢中な人たちには、そんな不安な空気は届かない。どうでもいい。鼻血と放射能、放射線の因果関係について、あったかなかったか(軍による関与が当時あったか、なかったか)について、相手を言い負かすことのほうが大切なことなのです。

未だ続く震災後の「風評被害」にも同じことが言えるのかもしれません。風評であれ、本当であれ、誤解であれ、被害を受けている人たちには確かにそこにいる。その人たちにとっては切実な問題であり、その声を周りに幾ら届けたくても、周りはそんな思いや苦しみより、「放射能が身体に及ぼす影響があるのかないのか」の議論のほうが大切で、もし何かがきっかけで、奇跡的に影響がないことがハッキリ証明されれば、震災後今まで受けてきた、心理的影響や被害など、どうでも良いかのよう。

そこのズレというか、温度差が、今回感じた違和感であり、それは今後もこうしたことが何か起こるたびに繰り返されるのだろうな、と思ってしまうのです。

大切なことは、それが正しいかどうか、ですか?その時、その相手のことは見えていますか?

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