毎日せわしなく生きていると、世の中の出来事なんて、正直二の次で、目の前のことでいっぱいいっぱいになります。ここ数日、実家でのんびりしていても、全てを忘れるわけではなく、頭のどこかに残りながら、まぁそれでもいつもよりはかなり余裕は出来ているのですが。
ところで、ここ数日、世の中で何が起こっているか、分かりますか?
というのも、ふと今朝何となくそう思い、考えてみたところ、すぐ頭に浮かぶのは、せいぜい二つ。
「セクハラ野次」と「W杯」
勿論、思い出そうと思えばもっと出てくるとは思うのですが、人それぞれ多少の違いはあっても、そのくらいかなぁ、と。あ、私が少ないだけですか?だとしたらごめんなさい。同じくらいだと思って、以下続きます。更に、その二つを考えてみました。余程自分にとって大切なことでもない限り、アプローチの仕方ってそんなに多くない。
どういうことかと言えば、
「セクハラ野次」なら、誰が野次ったか、が頭を占めてしまうので、都議会やそもそも日本の体質について、なんて二の次、まして今回のきっかけになった少子化対策については、ほぼ忘れている。「W杯」は、ごめんなさい。非国民な私は実はそれ程興味がないので、既にほぼ流れてきたニュースで結果くらいはちょっと分かる程度。
ということは、特に何か意見を求められたり、会話の中で出てこない限り、普段の私は世の中のことなんて、何も関心のない人間だと思います。ちなみに数日前は何だったか思い出そうとしたのですが、今すぐ頭に出てきたのは、お昼食べに出たら、たまたまついてたワイドショーで見かけた小保方さんだけでした。人って、周りのことには興味ないのね。だから平和で変わらず生きていけるのかもしれません。
茶化したいわけではなく、だから世の中大きな変化もなく、表向きはのんびり過ごしていけるのかな、と。もし今日、世界で大きな出来事か、国内でもより面白い事件が起きれば、多分私の頭の中の「世の中のニュース」コーナーの割り振りは変わってくると思います。「セクハラ野次」はより浅く進展を追うくらい。「W杯」は、変わらないかな、もともとそれくらいなので。
意識するって大変で難しい。
そうなると、もしあまり世の中に知られたくないことや、そこまで話題性がないけれど、後で考えると重大な出来事ってあると思うのです。例えばこの先の日本の方向性を決める法案とか、そこまでいかなくても、規約改定とか、税率変更とか。
多分、私は気づけないし、気づけても楽しくなかったり、分かりにくかったら、リソースを割けない。
余程暇でも、たくさんのことを満遍なく、というより、恐らくそのうちのどれかにもう少し深く興味を持つ程度だと思うので、せいぜい二つかな。三つ、四つあたりになると、やっぱり面倒になってきそう。
そう思うと、そんな中で関心を持ち続けさせて、主体的に関わらせて、何かを変える、って、なかなか難しいんだろうなぁ、と。
それよりは、ほとんど忘れていても、反対表明をあえてしない限り承認されてて、知らない内に消極的賛成していて、気が付けば変わってる、というくらいでひっそりと変わるほうが、変わりやすいんだろうなぁ、と。まぁ、そう簡単なことでもないのかもしれませんが。
今日の私の頭の中の「世の中のニュース」コーナーはどうなるのか。流れるTwitterとFacebookを眺めながら、そんなことを思っています。